障害児の親になって5:
障害者の可能性を求めて
2008年3月22日
あの一瞬の事故が、人生を180度変えた。17年経った今でも鮮明に
よみがえる悪夢の瞬間。「事故を防げていれば」と自分を責め続けた
日々。生死の境をさまよった息子から生きる大切さを学んだ。長くつらか
ったその道は、障害者の可能性を拓く道につながっていた—。
アーケディア在住の山田哲義、香苗さん夫妻は、悟己くんと和宗くんの
2人の息子に恵まれ、一家4人、平穏な毎日を過ごしていた。そんな日々
が永久に変わったのは、1991年5月に裏庭で起きた事故からだった。
香苗さんは、悟己くん(当時8歳)たちと一緒に遊んでいたはずの和宗
くん(当時2歳)の姿がないことにふと気がついた。慌てて辺りを見渡す
と、鍵がかかっていたプールの扉が開いていた。「まさか…」。恐ろしい
予感が胸をよぎった。次の瞬間目に入ったのは、水面にゆらゆら浮かぶ小
さな体だった。
香苗さんは無我夢中で心拍停止状態の和宗くんに人工呼吸をするが反応
はない。救急車で運ばれ、蘇生までに35分を要した。3日後、やっと目
を開けた和宗くんは、今までとは全く違う子になっていた。医師は、「酸
素不足による脳障害」と診断、生涯植物状態だと宣告した。
人生の中で最悪な日
「病院にいてもこれ以上できることはない」と、退院の指示が出た。正
直、見捨てられた気分だった。「医者とは、病気を治すのが仕事だと思っ
ていたのに…」。世界中から取り残された気がした。もう二度と幸せを感
じることはないだろうと途方に暮れた。寝たきりの小さな息子を抱え自宅
に戻ったあの日が、「人生最悪の日だった」。
哲義さんは、あちこち探し回り、リクライニング機能付のベッドを安価
で購入。痰の吸引機、酸素吸入器など生命維持の機器を並べた自宅のベッ
ドルームは、病室に様変わりした。香苗さんは24時間態勢で介護。痰の
吸引、おむつの交換、経鼻胃チューブからの食事、入浴などを毎日介護師
と手分けした。心配した友人が差し入れを届けてくれ、哲義さんも3週間
会社を休み、家事などを担当、一家で手探りの毎日だった。
毎日100回以上襲ってくるけいれん発作。和宗くんは常に硬直状態
で、一睡もできない過酷な日々が続いた。毎分200近い心拍数、呼吸は
毎分90前後、汗びっしょりで必死に呼吸する和宗くんを見ながら、どう
することもできない悲しみと怒りがこみ上げた。「なぜ」。常に答えのな
い疑問を抱き、泣きながら毎日を過ごした。
そんな時、長男悟己くんの笑顔に励まされた。「ママ、カー君は本当は
今、ここにはいなかったんだよ。けど、どんな姿でもいいから生き返って
ほしいって神様にお願いしたから、タイムマシンで事故の時に戻って命を
もらったんだよ。願いは叶うんだよ」
「植物状態でこれ以上何もできない」—。これが西洋医学の答えだっ
た。もう諦めるしかないのか。わらをもつかむ思いで試した鍼治療で発作
が激減。和宗くんの体の硬直が緩んだ。少し状態が良くなっていくように
見えた。香苗さんは、「和宗や、同じような子供たちを助けたい」と、鍼
灸師になることを決意。介護を続けながら、通常の2倍の6年をかけ学校
を卒業。鍼灸師の免許を取った。
和宗くんが3歳になったら学校に行けると聞き、「こんな子でも行ける
学校があるのか」と驚いた。ロサンゼルス郡が運営するサンゲーブルの養
護学校「リンカーン・スクール」をアーケディア学校区から紹介され、
92年3月から週5日、1日6時間通い始めた。
生命維持から教育へ
学校では、「障害を持つ子どもは無償で適切な公的教育を受けられる」
という連邦および州法に基づき、その生徒の個別教育計画が立てられる。
親、教師、セラピスト、資金元である学校区のディレクターなどが集ま
り、1年間の目標を定め、その目標を達成させるために「必要なセラピー
やサポートは何か」「どのような学校が適切か」などが話し合われる。し
かし現実は、予算不足や費用の出し渋りなどにより、障害児への必要な教
育を求める保護者との間で論争が多発している。
そんな中でも、熱心な先生の努力で和宗くんは、一時返事ができるまで
になった。うつろだった目つきもしっかりし、笑顔もよく見せるようにな
った。和宗くんが少しずつ良くなるにつれ、家庭も明るくなった。
和宗くんにとっていい刺激になるのではと、普通の学校で健常児と触れ
させたい旨を脳神経科医に相談すると、「和宗くんと一緒にいることで、
健常児が優しさや忍耐を学べる」と意外な答えが返ってきた。「和宗でも
人の役に立てることがあるんだ」。目からうろこが落ちた。重度の障害を
持ち生きる息子を、初めて心底から受け入れられた瞬間だった。
香苗さんは以来、同じ障害児を持つ親と、アフタースクール教室を設
立、障害児と健常児が一緒に遊び、学び合う環境を作った。また「手をつ
なぐ親の会」の会長も務め、障害児を抱え子育てに奮闘する両親を心身両
面からサポートした。「これが、和宗の親としての私の使命」。
哲義さんも、積極的に家事や介護を手伝い、日系社会でのボランティア
も始めた。長い間外れていた人生の歯車がかみ合い、ゆっくりと回り始め
たようだった。
見えてきた可能性の光
2005年末から和宗くんは、「サイバーリンク・ブレーンフィンガー
ズ」という、手を使わずに「顔の筋肉」「目の動き」「脳波」でカーソル
を動かしコンピューターを操作できる装置を学校で学び始めた。同装置
は、ある科学者が自分の脳の構造を理解するために発明したものだが、和
宗くんの教師は、限られた運動機能しかない障害者にとって画期的なコミ
ュニケーション法と注目。マウスを握ることも、会話をすることもできな
い和宗くんにとっても、夢のような装置だった。これをマスターすれば意
思疎通が可能となり、自立にもつながる。可能性の光が見えた。
1年後、自宅でも練習ができるよう学校区に同装置の購入を申し出た。
しかし学校区は、▽十分なリサーチがなく、障害者に有益なのか定かでな
い▽和宗くんは発作が多く、使用能力はない—などの理由から購入を拒
否。学校区からの要請を受け、ロサンゼルス郡は教室からサイバーリンク
を取り上げ、装置を使っていた20人の生徒たちも使えなくしてしまっ
た。山田さん夫妻は和宗くんの権利と将来の自立の可能性を求め昨年8
月、学校区を相手に訴訟を起こした。
数週間に及んだ審問で山田さん夫妻は、和宗くんの教師やセラピストな
ど専門家を証人として呼び、▽リサーチが十分でなくとも学校区は子供に
必要な教材を提供する義務がある▽親の承諾を得ず勝手に教材を取り上げ
るのは違法▽(和宗くんが装置を使用しているDVDを見せ)使用能力が
ある—と訴えた。
訴訟から約7カ月後の2月29日、判決が下った。結果は、和宗くんの
敗訴。判事は、▽教材は学校区が選択するもので親の承諾は必要ない▽こ
れほどの重度脳障害を持つ生徒がコンピューターで意思伝達できるレベル
まで到達するとは思えない—と証言した学校側の意見を支持、「和宗くん
は装置で八者択一ができる」と証言した先生や、DVDを見て、「普通の
高校生のようにゲームをしている」と証言したサイバーリンク発明者の証
言を「大げさすぎて信ぴょう性がない」と判断した。山田さん夫妻は、
「脳障害を負った時点から発育はしない」という一般論を重視し、重度の
脳障害を持つ生徒が学ぶことはないという固定観念による無意識の差別だ
と強い憤りを感じた。
しかし、敗訴して嬉しかったこともある。判決後に、学校のスタッフが
全員「和宗くんが勝てば、多くの生徒がこの装置を学校区から提供され使
えるようになる」「彼が重度障害児の意思伝達手段の道を開く」と密かに
応援していてくれたと知らされた。学校区を支持する証言をした校長先生
も同じ思いだったと聞き、学校側の人間ゆえ、本音を言えなかった彼らの
辛い思いを察し、涙が溢れた。
和宗くんの生きる意味
上訴は考えていない。しかし、「これからは多くの親たちに呼びかけサ
イバーリンクの必要性を訴えたい」。香苗さんは、「和宗が身をもって教
えてくれることがたくさんある。彼を見て『可愛そうに』と思った人が、
一瞬でも命の大切さや健康のありがたさを感じたなら、その人は和宗から
大事なことを学んでいる」と言う。事故の後、ささいなことでも幸せを感
じられ、人の気持ちをさらに理解してあげられるようになった。「これも
また、和宗から学んだこと」 |