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川柳に残る:ガーデナー風雲録6
関三脚
【戦後編・熟年期】(下)
2007年3月10日

[百歳のグレープフルーツ]

〈節くれた指が知ってる開拓史〉〈手を見ればガーデナーさんとすぐ判
り〉

 ガーデナーを50年続けたYさんが語ってくれたエピソードは興味深
い。その昔、パサデナでトラックに給油した後、財布を家へ忘れて来たこ
とに気がついた。事情をキャッシャーに説明したが聞き入れるものではな
い。「明日支払うだと!ふざけるなッ、サナバ……」の罵声に周囲の視線
が集まる。汚れた服から肥料の匂いもしたであろう。「仕方がない。ロン
モアを担保に…」と口ごもった時、「おまえは何だ?」と聞かれた。「ジ
ャパニーズ・ガーデナーだ」と答えた途端、相手は一変し「そうか、それ
ならばいつでも良い。おまえたちを信用している」と言ったそうだ。翌
日、支払いに戻ったのはもち論だが、運転中涙が止まらなかった。彼は子
の父兄会に出ても荒れた手を隠すほど職業に卑屈になっていたが、日系ガ
ーデナーが総体としてこれほど世間に認められていると初めて知ったのだ
った。

〈石仏も日本ブームの波に乗り〉〈日本から来た石の値に目を見張り〉
〈飛び石の幅が気になるハイヒール〉

 さて、こうした熟年ガーデナーからランドスケープ(造園)へ進出する
人が出だすところまでが前回であった。日本庭園の持つ奥深い味わいは隠
れたブームとなって、公共施設から私邸まですそ野が広がりつつあった。
バジェットとスペース次第で石、木、水と自在に組み合わせ、枯れ山水、
鶴亀の石庭、借景、池や滝、橋と展開させ季節の花をあしらう。すでに高
齢に達していたランドスケーパー(造園師)は、習得したすべてを投入し
た。自らの記憶の中の原風景、理想の日本の美を庭園内に集大成した。高

い評価を得たのも当然である。連盟が総力をあげて完成させた日米文化会
館の「清流苑」が、全米ランドスケープ賞のトップに輝いたのも驚くにあ
たらない。さらに、小東京の片隅にあった樹齢百歳のグレープフルーツ
を、ノグチ・プラザへ移植、成功させた高度の技術も日系ガーデナーあっ
てこそ可能であった。この老木は、馬車時代からガーデナーの変遷を目撃
してきたわけである。

〈御影石日本の色に陽をはじき〉〈アメリカの鳥居日本の庭にする〉〈日
本庭出来て名所が又一つ〉

[栄光と残光]

〈大勢の力見直すビルが建ち〉〈日系のプラン着々歩を進め〉

 1980年の23組合をピークに、ガーデナー業はラテン系にバトンタ
ッチされる。しかし、南加の各地で日系社会を支えたガーデナーの貢献は
記されておくべきと思う。わけても老後の生活、文化交流などを考慮した
小東京タワーズ、日米文化会館、日米劇場建設の主要発起団体、資金集め
の母体は南加庭園業連盟であった。日本からのバブル景気と投資で溢れた
80年代の喧噪(けんそう)に紛れて忘れてしまいそうだが、地道に日系
の未来を構築した推進力はロンモアに拠るところが大きい。実に、ガーデ
ナーたちが日系社会の向上へ投資した額は、何千万ドルどころではあるま
い。当時、落成式に招かれたブラッドレー市長は「日系人はアメリカ少数
民族の模範である」と称賛している。初めての黒人市長であってみれば、
抑圧の中から独力でプランを立て、経済力を築く日系社会にお手本を見た
思いであったと想像できる。

〈民族の血と汗加州を緑とし〉〈アメリカの庭師の誉れ緑化の美〉〈信念
に生きた努力へ叙勲沙汰〉

 すでに各方面で美化運動の功績が称えられてはいたが、圧巻は1981
年、先述した「清流苑」の授賞式に連盟代表がホワイトハウスへ招かれた
ことであろう。日系ガーデナーの働きが『政府公認』の域に達したと言え
る。時のレーガン大統領は後に、戦時中の日系人の扱いに謝罪し、賠償金
支払いにサインしたのは衆知であるが、その露払いをしたのがガーデナー
であると言ったら世の識者は「大ゲサな…」と笑うであろうか? 全米の
どの都市に、これだけ強固(しまった! 力んだのでペン先が折れてしま
った)な日系の共同体が1世紀も活動したであろうか。お陰でまがりなり
にも日系史に『区切り』がつき、アメリカンと『同等』になったとした
ら、先人の夢はかなったと言ってよい。ヨーロッパ戦線でテキサス大隊を
救出した日系442部隊の活躍とは別に、地道に長い闘いを完遂した「ガ
ーデナー部隊」の逸話をも語り継ぐべきではないか。…というのも小東京
に日系社会を称えて8千ドルをかけた壁画が描かれたり、州から日系史を
顕彰して47万ドルのブロンズ製記念碑が寄贈されるのは良いが、そこに
ガーデナーの痕跡は皆無である。小東京にガーデナーの足跡すら見当たら
ないのを私は寂しく、不思議に思う。

〈暖かい善意レーガン氏の土産〉〈賠償金余生へ花と喜ばせ〉

 ところで、往年の「戦士たち」もめっきり減ってしまった。多くがリタ
イアして久しく「もう無理はせんことにして…」

〈ささやかな老いの楽しみ松を曲げ〉〈石燈籠据えて我が庭故郷にする〉
〈シワの手を花に伸ばして若返り〉

 というところであろうか。あるいは「まだ若いモンには…」

〈仕事靴八十路の初春をまだ達者〉〈百万歩歩いた足だまだ確か〉〈老い
て尚日の出を起きて寝る入り陽〉〈仕事着で出れば歩調も軽い祖父〉

 と励み続けておられようか。

 小東京で開業し、多くのガーデナーを診察してきたI医師は「陽に当た
りすぎ白内障を患ったり、重労働から関節炎、腱鞘炎を患っている方が多
いが、立派に克服しているガンバリ屋が目立つ。そして強く生き抜いた親
を見習う子に大事にされているケースが多い」と所見を寄せて下さった。

[終章・落ち葉]

 ガーデナーと落ち葉は恰好の題材と見えて、名句迷句が多く残されてい
る。落ち葉に心が反映され、私たち読み手を微笑ませ、考えさせる。終章
は落ち葉しぐれで飾るとしよう。まず竹箒(ぼうき)の時代から…

〈掃き寄せる落葉お金であったなら〉〈見積りに秋の落葉を書き忘れ〉
〈この落葉値段を上げるチャンスなり〉〈垣根越し隣りの落葉憎く掃き〉
〈もて余す落葉は子等の銭となり〉〈落葉焚くにもお許しが要る都会〉
〈ペイデーは小雨も落葉だけは掻き〉

 風圧で飛ばすブロアーが出現し〈泥棒の目つきで落葉道へ吹き〉

 まず日系ではないと思われるが、よく見受ける風景ではある。次の句は
文芸を志した人か、自嘲的な匂いがしよう。

〈賤業(せんぎょう)の落葉掻く身が詩を拾い〉

 どんな身の上でも葉が1枚落ちて句が詠めるゆとりは尊い。
〈病む窓へ無常を告げる枯葉散る〉〈無理解な庭師紅葉を振り落し〉

 他人の仕事ぶりについ1言…厄介者を作句する川柳の効能は以上見てき
た通りだが、次の句は発想から少し違う。

〈主(しゅ)の庭の落葉掻きまし次の世も〉

 誰かと思ったら「ガーデナーの父」と慕われた南雲北人(号)の辞世の
句であった。彼は職場を『主の庭』と心得るクリスチャンで、賤業どころ
か天職としてロンモアを押した。名著「ガーデナー語録」を残し、小東京
タワーズの完成を見て86歳で没。たったの17字の中に彼の世界観が読
み込まれている。南雲が創刊した「ガーデナーの友」は今では薄くなり、
川柳欄はない。「庭友歌壇」を真紀巴さん、短歌と植物誌を松江久志さん
が根気よく続けておられる。小東京も再建より保存が課題と言ってよい。

 かつて日系であるが故に発揮できた強味、自然と共存する術をわれわれ
が失ってゆくとすると、どんな将来が待っているのであろう。日系という
帰属意識や施設が希薄になってゆく是非も知っておかねばなるまい。われ
われはロンモアによって築かれたラッキーな遺産に気がついているかどう
か疑ってみるべきである。ここに収められた川柳はロンモアが越えてきた
凸凹の1つ1つであって、もう1回(いや、何回も)、彼らが通ってきた
道を見直してみる所から、次の「ロンモアの伴走のない」百年を慎重に思
案してみることができるようになるのではあるまいか?

〈戦った土に老後の夢残る〉〈天駆けた移民の夢は子等が継ぎ〉(羅新川
柳選者)

 協力:南加日系庭園業連盟、全米日系人博物館リサーチセンター

—おわり— 

 

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