阪急交通社が米国に初めてオフィスを開いたのは1961年12月のこ
と。ニューヨーク市に駐在員事務所としてオープンした。70年以降は共
同出資会社JFCのメンバーとして、ニューヨーク、シカゴ、サンフラン
シスコ、そしてロサンゼルスで運輸事業を展開。その後、事業の拡大を踏
まえ、86年に阪急の米国子会社として「阪急インターナショナル・トラ
ンスポート社」を設立し、翌年4月から事業をフル稼働させた。
当初は全米に7事業所を構え、従業員は計100人足らずだったが、そ
れから20年後の今日、支社は15、従業員は180人と、スタート時か
らほぼ倍増。さらに今後、テキサス、ユタ、フロリダ、アリゾナの各州と
メキシコに支社を開設する予定で、20周年を機にさらに大きく飛躍を図
る。
日本から駆け付けた小島社長はあいさつで、参集した来賓や顧客、そし
て阪急の社員らに謝辞を述べるとともに、米国における阪急の歩みを紹
介。小島氏自身、ニューヨーク事務所で69年から75年まで仕事をして
いた当時を振り返りながら、「1971年に西部州で起こった港湾ストが
米国における事業展開を大きく変えた」と指摘し、運輸業界の流れについ
ても言及した。
ストで4カ月以上、港湾での輸送業務はストップの状態となったが、そ
れが火付け役となり、それまで海運に大きく頼っていた運送業務から空輸
に関心が向くように。74年に日本航空やフライイング・タイガー社など
がジャンボ機による貨物輸送業務を開始。小島社長は「私にとっても会社
にとっても(港湾ストは)貴重な体験となった。それは大型輸送時代を切
り開くきっかけにもなった」と指摘。そうした流れの中で、取り扱う貨物
が変化したり、取り扱いが日本発中心から他のアジアの国々発に変わって
いった経緯に触れた。
小島氏はまた、日本の阪急自体が今年で100年を迎えることにも言
及。昨年、持ち株会社である阪急ホールディングスと阪神電気鉄道との経
営統合に伴い阪急阪神ホールディングスの中核事業会社となったことなど
にも触れながら、今後も満足されるサービスの提供に努める意向を表明
し、「阪急全体の中で米国の阪急が果たす役割が益々重要になっていく」
と、同社へのさらなる支援と協力を参集者らに呼び掛けた。
兒玉総領事は「輸送は経済の基礎」と強調しながら、阪急が日米関係に
おいて果たしてきた役割を評価。ディア市長は、雇用を含めカーソン市の
良き「企業市民」としての阪急をたたえ、「ずっとカーソン市にとどまっ
て」と要請した。
式典では、阪急インターナショナル・トランスポート社として営業を始
める前の時代も含め、勤続20年以上の社員らが表彰された。席上、ロサ
ンゼルス太鼓センターのメンバーらが太鼓演奏で祝賀の雰囲気を盛り上げ
た。(長島、写真も)
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