ついにその時がきたようだ。「その時」とは日本に帰る日のことである。
 私は日本人でアメリカ人ではないし、アメリカ人になりたくもない。短くなった人生残りの時間を考えて、動けるうちに帰国することにした。
 当地の友人は、日本人がアメリカを去って日本に帰る決心をする際には、主として三つの要素がからむという。「英語」「運転」「和食」の三つである。
 私は卑近な例で、完全な日米両語バイリンガルで生涯を過してきた人が最晩年に差しかかるや生れ故郷の言葉しか話せなくなった実例を見聞している。またくるまを運転しなくては日常生活も覚束ないここアメリカの状況も知悉している。さらに人は齢を取ると味覚の嗜好が子供時代に帰るという。
 これら全部が私に当てはまる。英語は病気のときに(医者はともかく)看護・介護人との病状説明のための会話にも事欠く。運転は古稀過ぎて人生で初めての交通(一時停止)違反キップをもらってしまった。そして日本の佃煮やわさび漬や梅干や、おふくろの味に代表される家庭料理の味に全面的に回帰しつつある。現役で働いていたときは、あれほどアメリカのステーキやクラム・チャウダーやアイスクリームが好きだったのに。
 日本に帰ったら、趣味の川柳を苦吟しながら思い切り温泉に浸かって、てんぷらと蕎麦を食って、竹馬の友と時間を気にすることなしに来し方や残り少ない行く末をゆっくり語り合いたい。
 マニフェストを反古にしつつある新政権・民主党を引合いに出すまでもなく、アメリカに比べて日本が特別優れている国であるわけがない。それでも私は生れた国・日本に帰りたい。
 早いもので、羅府新報のこのコラムとは、1996年10月以来、13年半のお付き合いになる。その間、読者諸賢からはひとかたならぬ励ましの声をいただいた。衷心から感謝申し上げる。
 皆さまがたのご健康とご多幸をお祈りしつつ筆を措く。長い間有難うございました。【木村敏和】

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