「お母さん、これはもちアイスクリームでしょ? どうして電子レンジに入れるのよ?」―
すべてを完璧にこなしていた母親の「異変」に気付いたのは15年前。手探りの状態で始まった介護は、想像以上に壮絶で、肉体的にも精神的にもつらかった。涙あり、笑いあり、怒りありの15年の介護に終止符が打たれたのは、去年の9月だった。
アルツハイマー病の家族を介護するケアギバー(介護人)3人を紹介した連載記事、「消えゆく記憶の中で」を掲載したのは2年前。そのうちの一人、3世のナオミ・狩山さんの母、鈴恵さんが亡くなった。90歳だった。
2年前の取材の時、ナオミさんは、「ケアギバーになった瞬間から、以前は特別と感じなかった友だちとの食事や映画などが、手の届かないものになった」と話していた。自身も持病がある中、愛する母のために人生の15年間をすべて介護に捧げた。
昨年3月、体調が悪くなったナオミさんは、医師から入院を告げられた。しかし、「入院? とんでもない。母のデイケアが終わる時間なのに、誰が迎えに行くの? アルツハイマーの母を一人にはできない。迎えに行って、面倒を看られる人を探してから入院します」と答えた。
彼女には、自分の病気や体調を心配する時間などない。これが、ケアギバーの厳しい現実なのだ。
「だからこそ、介護者同士が支え合い、励まし合い、公的サービスなどの情報を交換する必要がある」。ナオミさんは、自身の経験を元に強く訴える。
リトル東京サービスセンターやオレンジ郡日系協会では、それぞれ「介護者のための支援グループ」を日英両語で催している。介護者のみならず、アルツハイマーの疑いがある家族がいる人や、高齢の親を持つ子供たちなど、幅広い参加を呼びかけている。
「つらいことも多かったけど、過去も未来もない『今』を生きていた母のあの幸せな笑顔が、今でも無性に恋しくなるのよ…」。ナオミさんは、経験者の声を届け続ける。【中村良子】