敬老感謝の日の起源は諸説ありますが、戦後まもなく兵庫県の野間谷村での「としよりの日」というのがはじまりと言われています。
村では、老人を大切にし、老人の知恵を借りて新しい村をつくるという気運があったそうです。戦争で、今までの価値観をすべてひっくり返された中、敬老の知恵を借りようとしたのは、革新的なアイディアであったのと同時に、自然な考えであったのかもしれません。
さかのぼれば、聖徳太子が建立した四天王寺のひとつ悲田院が、身寄りのない老人ホームの役割をしており、この悲田院がつくられたのが9月15日であったという逸話もありますし、元正天皇が養老の滝に行幸したことから、養老が敬老と関連づいていったというような説。時代も場所も違いますが、ここには、少なくとも老人を敬おうとする感謝の気持ちと、人生の先輩として老人から学ぼうとする確かな意志が感じられます。
アフリカには、「古老が一人亡くなることは、図書館がひとつ消えること」という言い伝えがあるそうです。国が違っても文化が違っても、先人を敬おうとする気持ちは人間の本能としてあるのかもしれません。
同時に、年をとることは知恵を増やすことですから、生活の知恵や、文化の継承は、先人なくしては語ることができません。
古老の死に対して、図書館をなくすほどの大きな痛手であったことを、心から悲しんだ気持ちが伝わってきます。
生まれることを祝い、成長することを喜び、老いることを敬い、死ぬことを弔う。人間の知恵と尊厳が、生きる意味の深い思いと共に、喜びや感謝の気持ちの中で繰り返されます。
人が老いを敬おうとしたとき、何世代にも渡る繰り返しの中で、人類が知恵を集積し、そして生かしてきたことの証を感じることができます。
そしてそのたくさんの感謝と知恵を次の世代につなげようと考えます。【朝倉巨瑞】