深い霧で始まる一日や驟雨に見舞われる日を繰り返すうちに、早くもシアトルは秋色の中。先月は、鮭の帰郷だけでなく、地元にゆかりある人の再訪が続いた。
 ワシントン大学の広大な植物園の一画に日本庭園が完成したのは1960年。その年お迎えした皇太子(現天皇)ご夫妻は、日米友好促進の願いを込めて桜と白樺を植えられた。そこで今年発足50周年を迎えるシアトル日本商工会は、その記念行事のひとつとして、桜と白樺が今後の50年を健やかに育つことを期して移植を行うとともに、藤崎一郎駐米大使を迎えて由緒を記した銘板の除幕を行った。
 太田総領事、マクギン・シアトル市長らの来賓・出席者を前にあいさつに立った藤崎大使は、日米の友好が今後も長く続くことを祈念するとともに、皇太子ご夫妻訪問時にはシアトルに住んでいたことを披露した。総領事として父、藤崎万里氏が駐在していたためで、「当時私は13歳。庭園ご訪問時には学校に行ってましたが」。テレビ・インタビューの関心も『帰ってきた外交官』に寄せられた。
 その数日後、シアトルから北東30マイルの林の中にある椿大神社で、原田真二さんの「鎮守の杜ミニコンサート」が開かれた。1977年にアイドル歌手としてデビューして以来、歌い続ける意味を模索しながら今に至ったという原田さんは近頃、広島出身の歌い手として歌と平和活動を融合させる生き方を目指している。映画「不都合な真実」の日本語版エンディングテーマの演奏を担当したり、国連本部での演奏の場を得たりしたのは、そういう生き方の反映だろう。
 コンサートには、シアトルに住む従姉妹さんたちの姿もあった。「かつて祖父母はシアトルにいたんですよ。私たちの父は帰米二世。真二さんのお母さんはずっと日本のままでしたが」。アイドル時代を知るファンからの「シンジー!」という熱狂的な声を前に「シアトルは僕の第二の故郷です」と語るには、そんな家族の歴史があった。
 ミニコンサートの日も、銘版除幕の日も、朝から雨。それが、まるで「ようこそ、お帰りなさい」とでもいうようにプログラム開始直前に上がり、関係者をほっとさせた。【楠瀬明子】

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