「尖閣ビデオ」のインターネット上への「流出」をめぐって、野党各党が五日、民主党政府の情報管理能力のなさを責めるコメントを、ただちに、ほとんど嬉々として、発表した。「流出」の意義を論じようとする政治家、外交専門家はいなかった。
「意義」というのはこういうことだ。この「流出」で政府は、当然のこととして、情報管理能力を疑われることになったにしても、一方で、ビデオをどう扱うかについてあれこれと頭を悩ませずにすむことになった。そのことで時間を浪費しないでいいことになった。
まあ、そんなことはありえないだろうが、もし、政府が故意に「流出」させたのだとすれば、これはかなり高度の頭脳プレイだったと言える。
なぜといって、中国漁船の悪行の証拠としてこのビデオを中国政府に突きつけよ、との国内の強硬派の要求にあっさりと「肩すかし」を食わせただけではなく、中国政府に突きつけるという荒業を避けて、しかも結果として、同政府にビデオを見せることができたのだから。表立って相手を刺激しすぎないですんだのだから。
中国政府は今回は、ビデオの映像が伝えるところを冷静に分析することをまず考え、日本にどう反応するべきかを、国内反日世論にも気を配りながら、慎重に検討したに違いない。「流出」がそうする時間を中国政府に与えたのだ。
予想できなかった出来事はいつも事態を悪化させる、とは限らない。日本政府はこの「流出」を最大限に活かさなければならない。
いきなり拳を振り上げて相手を強硬論に追いやるだけが外交ではない(し、日中首脳の廊下「懇談」もちゃんとした外交のうち)、ということだ。日本と中国の国民はこの「流出」から、そういうことも学ぶことができる。
民主党政府の情報管理能力の欠如ぶりや弱腰を攻撃するだけの各野党は、国際政治や外交に関してもっと視野を広げ、視点を変えるべきだ。国会で政府を攻めまくれば自党の株が上がる、という程度の頭では世界の動きがいつまでも理解できないままだろう。【江口 敦】