「ああ、こんな水を見たくない。せまってくるようで…」東日本大震災での被災地で活動をしていたときに余震が起こり、津波注意報が出たため高台に避難しました。高台からはかつて畑であったところに海水が入ったままになり、海の入り江があるように見えました。
 高台に一緒に非難した地元の方がつぶやいたのが、先の言葉でした。どうみても穏やかな海なのですが、3月11日の津波は彼の心の奥にも深く入り込んだのだと感じました。自然を恨みながらも、それでも彼は気丈に地元のボランティア活動を続けていました。
 何とも返答をしがたいつぶやきに、沈黙をした。だからといって「これからも頑張って」とは決して言えない。誰が見ても生死の境を乗り越え、十分に頑張ってきていることが分かったからです。
 大切なものをたくさん失った時にも、小さな希望を積み上げていく作業は途方もないものだと感じました。
 私はヘドロに埋まった思い出の品々を掘り返しながら、一瞬にして立ち消えた幸せの断片を組み合わせてみました。首だけになったキューピーの微笑み。良い年であることを願った泥だらけの年賀状。水没した庭に埋もれていたジャガイモの新芽。そしてヘドロの中でも可憐に咲く、ひまわりの花。
 どんな悲しみの中にも希望はあり、どんな苦しみの中にも太陽の光は差し込むのだ、と大輪のひまわりを見て感じました。
 阪神淡路大震災の時に11歳で加藤はるかちゃんが亡くなった跡地に、毎年大きなたくさんのひまわりが咲いています。この「はるかのひまわり」は、震災を語り継ぐために全国各地で植えられています。そして今回大きな被害を受けた南三陸町にも届けられました。
 神戸から届けられたひまわりの種は、南三陸町から気仙沼までの間をひまわりロードとして植えられ、復興の絆の象徴になっています。町の復興とは道でも建物でもなく、そこに住んでいる人々の、心の中の復興だと強く感じました。【朝倉巨瑞】

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