「自分の作品に百パーセント満足することはありません。今でも毎日が勉強ですよ」―。そう謙虚に話してくれたのは、その道30年の職人さん。
彼は、「鬼師」または「鬼板師」と呼ばれ、和式建築物の棟の先端に付けられる板状の瓦「鬼瓦」をデザインする。沖縄のシーサーと同じく魔除け、厄除けの意味を持つが、瓦屋根の家屋が激減する今、鬼師は少なくなる一方だ。
日本では、愛知県西三河地方の「三州瓦」、島根県石見地方の「石州瓦」、兵庫県淡路島の「淡路瓦」が日本三大瓦として知られている。
瓦の歴史は長く、2800年以上前に中国で生産され、西暦588年ごろ日本に伝来した。耐久性と断熱性、通気性にすぐれ、50年に一度焼き直すことでほぼ一生使用可能というから驚きだ。
しかし、95年1月に発生した阪神・淡路大震災で瓦屋根の家屋が倒壊した映像が繰り返し流されたことにより、「瓦屋根は重たく地震に弱い」との誤った情報が流れ業界を苦しめた。正確には、瓦の施工方法と家屋の建築方法に問題があったためで、現在は建築基準法が改正、震度7クラスに耐えられるという。
鬼師の職場には、何千もの鬼瓦の型紙が所狭しと掛けてある。型紙はあくまで目安だそうで、デザインは長年培った腕とセンスにかかっている。
ひとたび職人の腕にかかると、茶色い固まりだった粘土に、徐々に表情が生まれてくる。どんな厄も追い払えるほどの形相をした鬼の顔、今にも噛み付きそうなむき出した牙、相手を威嚇する鋭い目つき、そしてそのしわ一本一本。経験を積んだ職人の手により、丁寧に作り上げられていく。
鬼師により命を吹き込まれた鬼瓦は、1000度を超える釜で焼き上げられ、銀色に輝く。屋根から見下ろすその顔からは、今にも荒い息づかいが聞こえてきそうなほどの迫力だ。
創業111年になるこの鬼瓦店には現在、鬼師は1人。彼の後を継ぐ職人はいない。それでも彼は、今日も瓦に命を吹き込む。【中村良子】