ウクレレやアコースティックギターなどの楽器に興味を持ち、13歳の誕生日祝いにギターを贈られ、ロックやポップなど洋楽にのめり込んだ。バンド少年は、中高一環教育の進学校に通ったものの「やっぱり、音楽が一番好きだった」と、ただ1人、専門学校に進んだ。ジャズを主に音楽理論を身に着けた後、渡米。
「邦楽には縁がなかった」。そんなある日、民謡の松豊会の演奏を聴き「アメリカで民謡?」。一瞬、戸惑ったが「衝撃的で運命的な出会いで、日本文化のよさを再認識できた」といい「若い人やアメリカ人は聞かない、おじいちゃん、おばあちゃんが好きな音楽」という固定観念を根底から覆され「アメリカ人のジャズ、イギリス人のロックのように、日本人の血が騒いだ」。また、リードボーカルで後に妻となる小杉真リサの張りのある声にも魅せられた。
松豊会の佐藤松豊師に導かれ、グループを結成。音楽の特徴はフュージョン主体だ。「民謡が大本で、自由な発想で形にはめない西洋音楽とのいいバランス」を心掛け「崩し過ぎたら(原点に)戻す」とし、日本のアイデンティティーを守る。
多種の音楽要素を取り入れながらのオリジナリティーの模索は、難しく「これでいいのかな」と半信半疑になったことも。だが「おもしろい音楽だね」などの声を励みに前に進み「いい音楽は、いい」と確信。今回のアルバムの制作は「メンバーの心と音楽性、タイミングが一致した」と、結束力を喜ぶ。大きな自信を胸に「飛躍したい」
【永田 潤】