参加者のひとり宮城県気仙沼高等学校に通う小山祥輝さんは、「震災後、多くの人が支援してくれ、自分たちをサポートしてくれた人がどんな人か知りたかった」と参加理由を語る。
地震発生後、小山さんはすぐに避難所へ逃げたが、漁業関連の仕事をしていた父親は仕事場に戻り逃げ遅れた。幸いにも助かり家族は数日後に再会できたが、自宅は津波で流され火事で焼失。現在も仮設住宅で生活している。
岩手県高田高等学校に通う佐藤菜生子さんは、海沿いの自宅にひとりでいたところ地震が起きすぐに避難。家族全員は1週間後に避難所で再会でき、今も仮設住宅で生活している。
「避難所にいた時、米国から支援物資がたくさん届いた。温かい支援が身にしみた」。米国に来て感じたことは、教育、特に図書館の設備と蔵書が充実していること。「将来は米国でも勉強してみたい」と意欲を示し、確実に視野が広がったようだ。
同基金の創設者である岸本さんは1961年にフルブライト留学生として渡米。25年間、日本航空に勤務した後、健康食とスキンケア、アンチエイジング製品を扱う会社の販売組織を世界中に作り成功した。
「いつか恩返しとして、多くの若者に米国で勉強する機会を与えたい」。2007年に同基金を設立。「生きているうちに築いてきた資産を継続した形で若者のために」。基金はすべて同氏の資産で運営され、世界中で環境保護や飢餓支援活動を行うとともに、沖縄の伝統舞踊の後継者育成にも力を入れる。
また同氏は震災後すぐに被災地を訪れ、衝撃的な情景を目にする。「子どもたちは多感な時期に被災した。辛い体験をしている子は強い。復興の担い手となる人材は被災地にしかいない」
研修中は子どもたちに毎日報告書を書いてもらい、成長ぶりを観察。「欧米では自分の思っていることを伝えないと遅れをとる。文化の違いを肌で感じ、洞察力、ビジョンをつかんで」とアドバイス。「自分を愛し、褒めてあげる。自分を壊すような真似は決してしないこと。成功したいという目標があったら諦めずそれにこだわること。情熱と執念の強い人がリーダーになれる」と訴える。
「東北の人は自分のことをはっきり言わない習性がある。被災地の人も米国人のように自分の主張をしっかりし、議論できるようになったら早く復興につながっていくと思う。今回学んだことを多くの人に伝え、復興に生かしていきたい」。小山さんは、岸本さんからの教えを確実に吸収したようだ。
さらに歓迎会では、岸本さんから沖縄県人会に奨学金として4000ドルが授与され、呉屋君子同会会長に手渡された。
その後、岩手県盛岡市出身のプロギター奏者和山太郎さんによる演奏や、沖縄県人会芸能部による琉球舞踊と民謡も披露され、会場は大いに盛り上がり、高校生と参加者たちは交流を楽しんだ。【吉田純子、写真も】
