タバコを吸いたくなった。目の前には、金属製の円形の、スタンド状の灰皿もある。箱からタバコを一本取り出して火をつけようとして、気がついた。ここはロビーだ。劇場か映画館のロビーだ。こんなところで喫煙するのはマナー違反だ。
でも、灰皿が用意されている。タバコの煙を心地よさげに吐き出している者もいる。タバコの匂いが周囲を満たしている。このごろでは、こんな場所のほとんどは喫煙禁止となっているはずなのに。
だれかが「UCLAのゲームが始まるよ」と声をかけてくる。フットボールの試合だ。劇場などでしか見られないような厚手のドアを開けて競技場の中に入る。二階席だ。たしかに、フットボールの試合が、普通なら劇場の一階に当たる場所で戦われている。なんだか変だ。立見席の一番前に進み出る。だが、周囲に人が押し寄せてきて、階下の試合が見られなくなる。
やっぱりタバコを吸うことにしようと、ロビーに戻る。前と同じ場所はやはりまずい。気がひける。少し移動してみる。けれども、どこもかしこも喫煙者だらけだ。仕方がない。俺もここで吸うことにするか。
まて、と思う。俺はずっと前からタバコは吸っていなかったはずなのに! いつの間にか再び喫煙者に戻っている! それでも、自分のタバコに火をつける。思い切り煙を吸い込む。そう、この味、この香り。だが、やはり、何かがおかしい。俺が再びタバコを吸っている?
そこで目が覚めた。いつもと同じパターンの夢だった。…何かに誘われるようにタバコを吸う。これだ、うまい、懐かしい、などと思う。だが、変だ。ずいぶん前に、俺はきっぱりとタバコをやめたはずだ! そこで目が覚める。
わたしがタバコとの悪縁を切ったのは1986年の暮れのことだ。風邪をひいて、タバコのやにで黒くなった痰がからむ咳にひどく苦しんだことがきっかけだった。
怖い、怖い。ニコチンが26年後のいまも脳のどこかに残っているらしい。【江口 敦】