LA Daiku
日本各地の合唱団と共演
毎年新年に「第九演奏会」
第九大合唱の余韻冷めやらぬ、同年の秋に「LA Daiku(LA第九を歌う会、棚野泰全代表)」が発足した。合唱団は、男性約10人、女性約50人の約60人で構成する。20代から80代まで、平均年齢60歳のメンバーが毎週火曜日の夜、ハリウッド日本語学園に参集し、6時半から9時まで練習に励んでいる。グループレッスンに加え、声楽家を招き毎回8人が発声の個人レッスンを受けるなど、並々ならぬ努力で全体のレベルアップにつなげている。
ハリウッド・マスターコーラルの指揮者で、パサデナ・マスター・コーラルでは音楽監督・指揮を務めるジェフリー・バーンスタイン氏から本格的な始動を受けている。同氏は、ハーバード大在学時にキャンパスで聴いた関学大混声合唱のハーモニーの美しさに感銘を受けて、経営学の専攻から音楽へと道を変えた。メンバーは、親日家との運命的な出会いを喜び、全幅の信頼を置く。
昨年の東日本大震災の発生1年の復興支援公演を発案。他の日系7団体に参加を呼び掛け、公演では自ら作詩作曲した「Fukushima Requiem (福島鎮魂歌)」を披露した。今年5月には、メンバーとともに被災地石巻の慰問も行い、犠牲者を供養し献花した。福島・郡山では交流する合唱団「ドンカラック」と再会し、鎮魂歌の楽譜をプレゼントした。第2回のメモリアル・コンサート(3月10日)の開催に意欲を示している。
日本との交流を大切にするLA Daiku。2010年から毎年、日本の第九の初演の地の徳島・鳴門の連合演奏会に参加する。昨年はメンバー25人が参加し、今年はパサデナ・マスター・コーラルのメンバー17人を含む47人が参加を予定。2015年1月には、第2次世界大戦の終戦70周年として、パールハーバーで記念コンサートを予定しており、未だに残る戦争の傷を歌で癒す考えだ。
現在は目前に迫った新年「第九演奏会」(1月5日午後7時半開演、サンゲーブル)に向けて、特訓を続ける。静岡、群馬、徳島の3合唱団から招待したメンバー10人と共演し、交流をいっそう深める。
バーンスタイン氏は「英語、日本語の言葉の壁がない合唱という共通の目的で、日米だけでなく世界の人々が兄弟のように心を通い合わせるのは素晴らしい」と、活動の意義を強調する。「日本人は、ダイク(第九)の合唱をどこの国の人よりも愛している。その情熱に応えるために精一杯指導したい」
OCFC
地元行事で発表し交流
交響楽団と共演も
オレンジ郡を拠点に活動する合唱団「OCFC(Orange County Friendship Choir、住山弘会長)」は、第九公演から4カ月後の11月、有志が集まり組織した。第九プロジェクトでオレンジ郡地域のグループを指導し、同コンサートでソリストを務めたソプラノ歌手の竹下圭子さんが、継続して教えている。
練習場所は当時と同じ、メンバーが所有するアーバインの音楽教室。50人(男性12人、女性38人)のメンバーは皆、毎週木曜日の夜(午後7時45分から9時45分)の練習を心待ちにいしてるという。音大出身者や合唱経験者がおり、パートリーダーとして引っ張り、皆が教え、励まし合っている。
発表は、日系や地元の大小さまざまなイベントに参加し、歌声を披露することが多い。オレンジ郡日系協会の「敬老感謝の集い」では、「故郷」や「浜辺の歌」など日本の歌を聴かせた。同郡の高齢参加者は喜び、子どもの頃に歌った懐かしい曲に釣られて、口ずさみ故郷に思いを馳せた。
年1度の定期演奏会を春に開いている。1回目の公演はモーツアルトのレクイエム、2回目はフォーレのレクイエムを歌った。3回目の今年(3月22日午後7時半開演、ラグナヒルズ)は、有名なオペラの合唱曲5作品を演奏する。練習は昨年の4月から開始し、丸1年掛けて仕上げる。地元のサウスコースト交響楽団との共演も楽しみの1つだ。
オペラの合唱曲は、ラテン語、ロシア語、フランス語、イタリア語などをもちろん原語で歌う。毎回、難曲である大作に挑む理由を竹下さんは「50人以上のメンバーがいて混声合唱ができるから」と説明。また、ステージに立つまでの段階を一歩一歩進む登山に例え「同じ登るなら、みんなで頑張って高い山を目指したい。その方が達成感もある」と表現する。
竹下さんは、これまで4年にわたり合唱指導にあたっており、メンバーが実力を上げて自信をつけたことを誉める。今後の方向性は、地元での活動にさらに力を注ぎ、第九合唱に再び取り組んで被災地のオーケストラとのコラボーレンションなどに意欲を示す。「みんなが助け合って歌い、歌う人、聴く人、みんなが晴れ晴れした気持ちを共有することができる。それが合唱の醍醐味。みんなでスクラムを組んで頑張りたい」
LA DaikuとOCFC
広げる「合唱の輪」
第九プロジェクト「日米の懸け橋」はJBA(南カリフォルニア日系企業協会)が主催し、当時のJBA会長の鈴木康義さんが提案した。LAグリークラブに属し、合唱を趣味とする鈴木さんだからこそ発案できる企画だった。プロジェクトは1年3カ月後の2009年7月の開催を目指し、08年4月に本格始動。同年11月中旬から練習に入った。
鈴木さんは、その当時までに10回以上の第九合唱を経験しており、公演後の感激のみならず、第九を歌う難しさも分かっていた。「難しいメロディーが多くあるので、地道な練習の中で、みんなが『あそこを間違った』『その音が違うよ』などと教え合うと、人のつながりができる」と、連帯感が生まれることにも期待を寄せた。約8カ月の練習は長く、時には辛かったというが、同じ目標に向かい励まし合った。努力の結晶は「歓喜の歌声」となり、鈴木さんとメンバーの願いは成就した。
日本に帰国した鈴木さんは、公演直後に心境を語り「僕が種を蒔いた第九。これで終わるのではなく、第九に限らず『合唱の輪』を広げもらいたい」とエールを送った。その意思通りに誕生したLA DaikuとOCFCの両代表は「あの第九合唱があったからこそ、今のわれわれがある」と口を揃える。「鈴木さんとメンバーのみなさん、ありがとう」