私たちは、普通の人が共通して持っている、あるいは持っていなければならない知識、理解力、判断力を「常識」と称しているが、困ったことに常識は少しウヤムヤなところがあって、その価値や意義どおりに正しく評価されていない。
オバマ大統領が先週、「今こそ、常識ある移民制度改革に取り組む時だ」として、その基本方針を発表した。ここで言う大統領の常識が、はたして誰にでも納得できる絶対的なものであるのかは、大いに議論のあるところだろう。
つまり、一定の条件を満たした不法滞在者に市民権付与の道を開こうという大統領の「常識」に対して賛否が分かれている現実を見ると、大統領の主張する基本方針を常識の範囲内に収めるのは、いささか無理があるといえる。人は誰も、自分に常識が欠けているとは決して思っていないとしてもだ。
犯罪歴がなく、税金も納め、英語の習得意欲があることなどを永住権や市民権を申請できる前提条件に挙げているけれど、「常識」を持ち出すのなら、不法入国、不法滞在自体が犯罪歴になるのではないか。
百歩譲って、不法滞在は犯罪ではないとしても、改革案は急増する中南米系人口を狙った選挙目当ての打算的なその場しのぎの策で、とても「常識」に裏打ちされた政策とはいえない。不法滞在者が恩赦や移民制度改革で優遇される以上に、合法的にアメリカ永住の手続きを行っている人たちへの配慮が必要。彼らが改革案からはじき出されることは常識外のこと。
2010年に議会で否決されたいわゆる「ドリーム法案」の復活よりも、先ずやるべきことは、合法的滞在者の永住権申請手続きを迅速化すること。さらには、高卒程度の英語の理解力があれば、自分で手続きができるように申請書式などを簡潔にすることだろう。
移民業務を取り扱う役人は、永住権授与の決裁に5年も10年も、何をモタモタしているのか、と言いたい。超スローな仕事ぶりは理解に苦しむ。民間企業ならとっくにクビが飛んでいる。【石原 嵩】