戦没者の慰霊や、故人となられた家族をお参りするメモリアルデー。お墓は、供えられた花や国旗で賑やかになる。
戦争で命を落とした兵士には、功績に敬意を払い、身内でなくても墓参する人たちがいる。追悼法要も行われる。同じ戦争に翻弄された人たちでも、お参りする身内がいない人もいる。
先月、日本に行った折、今年3月に亡くなられた方のお参りに行った。
その方の妹さんは、12年前この地で亡くなられた。ご主人は既に他界しており、その同じお墓に埋葬された。お参りする身内はここにおらず、時々はお参りに行っていた。
日本に住むお姉さんのところには帰国の度、立ち寄ってはしばし思い出話にふけった。必ず話題に上るのは、「戦争で夫(先の)が死ななければ再婚もなかったと思うし、再婚してすぐに夫に死なれなかったら…」「妹も戦争で好きな人が死ななかったら、アメリカ人と結婚して(米国に)行くこともなかった」という身の上だった。ずっと戦争を引きずっていた。
他にも戦争で夫を失い、中国で終戦を迎え、戻った日本には母と妹たち。彼らの生活を支えるために働いて、出会ったアメリカ兵と結婚して渡米した女性。アメリカ兵と結婚してきたが、夫の母から「敵国の女に子どもは産ませない」と言われたという女性。話の前後や背景にある辛いエピソードもたくさん耳にしたが、話してくれた女性たちのほとんどが鬼籍にはいった。
もちろん、そういう事情の人たちばかりではないだろう。ただ、戦争で好きな人や連れ合い、家族を失わなかったら、もっと違う人生になっていたかもしれない。このアメリカの地に渡ることも、墓参りをする身内がいない墓地に眠ることもなかったかもしれない。そういう人たちが存在した事実がある。
彼女らのお墓に参って、彼女らの数奇な人生を思うにつけ、今も世界のどこかで戦争があり、同じような境遇に陥っている人たちがいるのではないかと思う。
兵士には大儀があるが、大儀のない男や女でも戦で命を落とした人、生きて大変な時代を過ごしてきた人などを思った。【大石克子】