外出時、私のシャツの胸ポケットに必ず収めているものがある。それは一見手帳風になっているカード入れで、これを開けばメモやカードが一覧で見られ、また必要に応じて取り出せるようになっている。
カードといってもクレジット・カードの類ではなく、主として名刺類であり、私が現在通っているドクター関係のものだ。
ホームドクター、腎臓、透析、心臓、糖尿病、肺、消化器、癌検診、眼科、歯科の各専門担当医のこれら名刺類は万一、私が緊急事態に陥り、救急治療などを施さねばならない場合に備えて常に身につけているものだ。また、これとは別に、各担当医が私に処方してくれ日常服用している薬も一覧表にしてポケットに入れている。
アメリカの医療は専門的に細分化が進み、臓器や病気の種類ごとに専門医がいるのが普通だ。
各専門医はホームードクター(かかりつけ医)が紹介してくれ、専門別に深く責任を負う体制になっているのはおおいに評価できるのだが、半面、人間を個々の部品の集合体として扱っているとしか思えない側面もあり、人体全体をバランスよく有機的に把握しようという発想からは欠けるように思えてならない。
自分の担当する分野さえよければ、ほかの部位や臓器に関係なく治療や薬の処方をしているのではないかと疑いたくなることさえある。自分の担当分野で責任を負うということは、言いかたをかえれば、それ以外では責任を負わないということにも通じる。
各専門医は個別に薬の処方箋を出してくれるので、処方される薬の種類も時とともに増え続ける傾向になる。薬には治療を狙う特定の症状には効果があるだろうが、副作用として別のところに悪影響を及ぼす毒という側面があるはずで、薬を服用することによって新たな病気を作っているといえるのかもしれない。これはアメリカ医療システムにおける弊害の側面といわざるをえない。
私は専門化するアメリカの医療体制について、基本的には高く評価する立場だが、このようなマイナスの側面があることも確かであり、人間を全体としてみてゆくことも忘れないようにしていただきたい。【河合将介】