朝晩冷え込む。心地よい加減だ。日中は秋晴れだ。日本晴れと表現すれば郷愁を誘われる。
今夏はいつになく雲が多く、久々に日本のような空模様を味わえた。今は宇宙の果てまで届く高い青空が頭上に広がる。これこそ、みなが憧れる「カルフォルニアの青い空」だ。見上げると吸い込まれそうだ。吸い込まれながら、日本がチラチラと思い出される。秋の運動会、干し柿、紅葉。胸が締め付けられる。日本の四季の変化には及びもつかないが、南加の微かな季節の移り変わりも、悪くはない。
ハロウィーンが近い。子供は巣立ったが、私はせっせとキャンディーを用意する。19年前、われわれ親子が初めて体験したハロウィーンの興奮と嬉しさと感謝が忘れられない。
恐ろしい飾りつけで子供を喜ばせてくれた上に、キャンディーをふんだんにくれた家々。生活に追われる若夫婦には、袋一杯にもらってきたキャンディーに目を輝かせる子供の顔が忘れられない。アメリカ人のホスピタリティーと遊びの精神を学んだ。いつ思い出しても温かいものがこみあげる。今度は私たちがお返しをする番だ。
わが家の後ろの通りに、毎年、凝りに凝ったお化け屋敷を1カ月かけてつくる家がある。ハリウッドまがいに家の前にポーチができ、お化けが並ぶ。それが本物そっくりで大人でもゾッとする。芝まで全部はがして墓場をつくる本格派だ。当夜はこの家から煙が上がり、怪しげな音まで流れる。必ず見物にゆく。怖いもの見たさの子供たちの行列が後を絶たない。この家から走り出る子供たちの興奮した顔に、かつてのわれわれ親子の姿が重なる。見知らぬ子供たちへのこんな豪華な無償のプレゼント。この家主にもそうする理由があるのかもしれない。
行事は流れる時をせき止め、生きてきた日々を一区切りする。今年は何をしたか、何が起こったか。何を失い、何を得たか。手の中にはっきりと見せてくれる。一つ一つの行事に丁寧に向き合い、折々に過去を思い出し、今の体験に奥行きをつける。それは生きる姿勢を問い直すことにもなる。歳を重ねるごとに流れる時間は濃厚になる。【萩野千鶴子】