12月17日はダニエル・イノウエ連邦上院議員の一回忌にあたる。享年88。1年前、ワシントンDCとホノルルで盛大な葬儀が執り行われ、オバマ大統領が「僕が政治家を志すきっかけになった人」と語って両方の式典に出席するなど、その存在がいかに偉大なものであったかをあらためて感じさせられた。
特に晩年は、親日派として、沖縄米軍基地問題などでもバランスの取れた識見を議会やマスコミで主張してくれた。日米議員交流のパイプ役として不可欠な存在でもあった。亡くなって半年を経た今年5月にはアメリカ海軍のミサイル駆逐艦の艦名が「ダニエル・イノウエ号」と命名されることが発表された。イノウエ議員はアメリカが誇る真の英雄だ。
だが、私が本当に素敵だと今でも思うのは、イノウエ議員の人間的な側面である。同議員は、人生の最後の5年間、素晴らしい伴侶との結婚生活を送った。素晴らしい伴侶とは、アイリーン・ヒラノ全米日系人博物館元館長である。
日系人と日本との絆を再構築するという志を掲げて、イノウエ議員は全米日系人博物館の名誉理事長も務め、たびたびLAにも来ておられた。私は、総領事館に勤めていたころから、時々イノウエ議員とお目にかかる機会を得た。
古今東西を問わず、人の名前を覚えるのは難しい。しかしイノウエ議員は、数回お会いしただけで名前を覚えてくださる。あちらから声をかけて手を差し伸べてくださる。誰に対しても、そうなのだ。数年前、ホノルルで乗ったタクシーの運転手さんも、「イノウエ議員はとても良い人。僕の母親が病気だったのをちゃんと覚えてくれていて、一年後に会ったら、『お母さんの具合はどうだい』と尋ねてくれたんだ」と話してくれた。
「元気かね」と笑顔で手を握ってくれると、心が瞬時になごんだものだ。ピアノがあると、片手で鍵盤を見事に操りダニー・ボーイを弾き語ってくれた。最愛の妻アイリーンさんはいつもご自慢の種だった。「昔の日本人は、妻は必ず夫の後ろを歩いた。今は世の中が進んで、妻も夫も並んで歩くようになった。うちは妻が僕の先を歩く」と言ってのろけた。
イノウエ議員は、日系コミュニティーが生んだ最高の英雄だけれど、私は、あの温かくお茶目な笑顔と愛妻の自慢話がたまらなく懐かしい。【海部優子】