現代生活はPCに頼りきっている。
 朝起きてまず世界のニュースと、メールのチェック。一日中、PCの前で仕事をして、就寝前に最後のメールをチェックする、という人も多いだろう。
 仕事の世界では文句なく重宝だ。世界の何処に相手がいようと昼夜関係なく業務連絡がとれる。経済、政治、社会情勢の動きはPCで世界と一瞬のうちにつながる。何と便利な世の中になったものだろう。質問や疑問は検索すれば適当な答えが得られる。われわれの子供たちは幸せだ。
 頭が痛いのはハイテクは加速する一方で、次々に新システムが導入されることだ。会社ではペーパーレスとうたって膨大な書類はすべて添付でメールするだけになった。それをやっとマスターしたばかりなのに、今度はスカイスロープという新システムの導入だ。こんな名前だから空の遠くに書類が飛んでゆくイメージが湧く。不安だ。やり方を覚えるのにまた、悪戦苦闘している。
 100人以上の米国人の同僚も文句を言いながらやっている。移民のわれわれはその2倍の努力がいる。泣きついていた秘書はもういない。彼女たちの仕事がなくなったわけである。人間の姿が消え、機械だけが並んでいる。
 病院で働くナースは移民が多い。経験豊富で時には新米ドクターより患者さんの身体状況を的確につかむ。人間の体は昔も今もそうかわるものではないのだから。そんな貴重な存在のナースたちが新システムについて行けずにリタイアしてしまうことが多くなったと聞く。医療に関わる情報処理だからミスは許されない。神経をすり減らしPCと格闘した揚げ句にキャリアの最後に大きなミスを犯すより、引退の道を選ぶというわけである。
 人間社会は人と人とのコミュニケーションの上に成り立っている。顔を会わせて話し交流し、信頼を得、初めて契約が成立し、約束が結ばれる。基本は人間力であることに変わりはない。ハイテクの波に翻弄されるわれわれは過渡期を生きている。
 「大変だ、大変だ」とこぼすと「頭の運動にいいんじゃない? ボケないよ」と若者に軽くいなされてしまった。苦労しますよ、われわれの世代は。【萩野千鶴子】

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