新年まであと数日となった。2015年はさまざまな意味で節目の年だ。日米関係でいえば戦後70周年だし、日系コミュニティーでは二世ウィークが75周年を迎える。ロサンゼルスで領事館が設立されたのも100年前、1915年(大正4年)7月14日のことだ。
西海岸に(総)領事館が設立されたのはサンフランシスコ、シアトル、ポートランド、ロサンゼルスの順だが、そこに日系人の軌跡をたどることができる。当地での領事館設置は、1900年代初頭に数多くの日系移民が南加地域に移住し、領事事務の必要性が増大したためといわれている。太平洋戦争の勃発とともに日本と日系コミュニティーとの間には隔たりができてしまったが、戦後70年を経て、今また日本と日系人との距離は近しいものになりつつある。
総領事館も、三世、四世と続く日系アメリカ人や、帰米二世、戦後の新一世、そして駐在員や留学生など、多様な地元のコミュニティーと豊かな関係を築いている。2015年という節目に、当地の歴史の変遷や重みに今一度思いを馳せたい。
それにしても、現在に生きている私たちが実際に経験できる歴史は限られている。私がいかに長生きしても、100年の歴史の語り部にはなりえない。紆余曲折を経た日系コミュニティーの歴史を伝えることができるのは、何といっても羅府新報のようなコミュニティー紙だ。
かつて「5人集まると新聞を作りたがる民族」といわれたほど文字好きの日本人たちは、アメリカに移民した後、さまざまな新聞を作ってきた。しかし、時代の流れとともに、今では米国に残る日系新聞は数えるほどしかない。そんな中で、1903年に創刊した羅府新報は頑張っている。世の中がデジタル化し、大手の新聞社すら存続が危ぶまれている中、脈々とコミュニティーの動向を伝えている。私たちが当地の歴史をたどることが出来るのは同紙のおかげであるとも言える。
100年後の私たちの子孫が2014年に何が起こったかを知りうるのも、やはり羅府新報の紙面を通じてだろう。同紙にとっては100年記念も150周年も「節目」以外の意味を持たない。一日一日の紙面が歴史の連続の中にあり、そこに同紙の真価がある。年末にあたり、羅府新報に心からのエールを送りたい。【海部優子】