「トウキョウ・セントラル」1号店の前に立つ関口憲司社長
「トウキョウ・セントラル」1号店の前に立つ関口憲司社長
 大学を卒業後、パチンコやディスコ、ライブハウスなど、総合レジャー産業に10年携わった。パチンコ業界は、有能な人材が高給で引き抜かれる世界。「そういう道もあった」が、「伸びそうな会社で働きたかった」「おもしろい店を作って、会社が儲かっている。これは行ける」と、ドン・キホーテを選んだ。

1964年生まれ。立教大経済学部卒
1964年生まれ。立教大経済学部卒
 当時はわずか7店舗。「本当に一通り何でもやった」と、さまざまなアイデアを出すと「チャンスが来て、ジェットコースターみたいに動いて行った」と波に乗り、店舗を増やしていった。「権限をもらい、好きにやりたいことができる」―そんなドンキの自由な社風が、ぴったりと合った。入社10年で、子会社の総合スーパー「長崎屋」の社長に就任し、再生を任された。ここでも結果を出し7年経って、「ネクスト」と辞令を受け、海を渡った。
 「市場を切り開くのは、おもしろい」と目を輝かせる。「5を6にするよりは、0を1にする方が価値がある。5を6にできる人は、たくさんいるけど、0を1にできる人はなかなかいない」と力を込め、自らを「突撃隊長」と表現する。「50(歳)を過ぎたので、突撃している場合じゃないと思いつつ」と冗談気味に話す。
 世界的な日本食ブームを認めつつも「外食でなければ、日本食が食べれられないのでは、裾野は広がらない」と言い切り、総菜で打って出る。さらに「総菜だけでは、日本食の文化は伝わり切れない。食材を買ってもらい、家庭で作って食べてもらいたい」と食文化の普及に情熱を燃やす。
 新天地では「ゼロからの挑戦。気合いでやる」と自らを鼓舞。「会社を組織にして、お店をバンバン出店できるサポート体勢を作りたい」と、組織づくりには意欲を示す一方で、多店舗展開には慎重な構えを見せ「まずは1、2号店を利益が出る繁盛店にすること」と、足固めに余念がない。大きな目標は、ニューヨーク証券取引所への上場だ。「(取り引き開始を告げる)鐘を鳴らすまでは、日本に帰れない」【永田潤、写真も】

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