新しい年を迎えるにあたり、謹んで新春のごあいさつを申し上げます。
 2015年(平成27年)は未(ひつじ、羊)年。ヒツジは約1万年前の西アジアが起源とされています。太古の昔から、大草原を自在に動き回っていたのでしょう。現在では世界中に3000種以上もいて、干支(えと)の中でも人間の衣食住に深くかかわっている動物の一つといえます。
 さて、年の初めには、いろいろな運勢占いを見聞きすることがあります。手相、人相、生年月日、星座、姓名、タロットカード、コイン、気学、易学、風水などから、理解するのがやや難しそうな陰陽五行説を元にした四柱推命(しちゅうすいめい)まで、賑やかです。「占いなんて信じない」という人でも、ちょっと見てみたいとの気にさせられるのも、年が改まって今年はどんな運勢になるのだろうか、との気持ちがチラッと頭をよぎるからでしょうか。
 出会い運、恋愛・結婚運、金銭運、仕事運、子宝運、健康運などを含めたその人の総合運が占いによって決められることはないと思います。それでも、指の爪に白い点が出ると、「それは幸運を知らせるメッセージ」だなんて言われて悪い気はしませんし、「それが何なのさ」とクールに受け止める人でも、内心では安堵しているのかもしれません。いずれにせよ、信じる信じないは別として、占いを気にするのは人間だけが持つ特性なのでしょう。
 十二支で占う干支占いというのも、けっこう人気があるようです。生まれ年の干支によって、その人の性格や運勢が決められるわけもなく、同じ干支の人を十把ひとからげにカッコで括るには無理があると思うのですが…。
 今年はひつじ年だからといって、皆がみな、ひつじ年生まれの特性とされる「温厚で人情味があり、芯が強くて優しい性格」ではないだろうし、ひつじ年生まれの今年1年の運勢は「何事も真面目に取り組めば、金運も恋愛運も仕事運も上向きになる」と言われたところで、皆がみな金持ちになり、素敵な恋愛ができ、よい仕事に恵まれるという保証があるわけでもありません。
 つまり、占いには「当たるも八卦、当たらぬも八卦」の要素が強いのです。気になるとしても、深刻に向き合わないほうが賢明といえるでしょう。同じ当たるのなら、新年早々、大きなロットに当たりたいものです。そしたら、新聞のページ数も発行日数ももっと増やせるのに…、なんて妄想していたら正夢になってくれるのでしょうか―。現実は、夢のまた夢に終わるのがオチなのでしょう。
 同じ夢でも、正月二日に見るのが一般に初夢とされています。吉兆とされた「一富士二鷹三茄子(いちふじにたかさんなすび)」のうち、一と二は何となく分かるとして、茄子がなんで三番手なのか、子どものころは不思議に思っていました。由来については、徳川家康が初物のナスを好んだからなどと諸説ありますが、ナスは事を「成す」という意味合いの掛け言葉のようです。
 この成句は、このあと「四扇五煙草六座頭(よんせんごたばころくざとう)」と続くから、もっとややっこしい。祭礼や舞踊の小道具となる扇は末広がり、祭りや祝いの席で座を和ませる煙草の煙りは上昇する(運気が上昇)、三味線や物語りに長けている座頭は「毛がない(怪我ない)」から夢の中に現れたら縁起が良いと、江戸時代の人がこじつけて考え出したのでしょうか。かく言う筆者も陰でハゲと呼ばれているようですから、ケガのない平穏な年になるのでしょうか?
 それはともかくとして、年が改まったからといって、私たちが抱えているさまざまな問題点が急に良い方向に進んでいくとの保証はありません。政治の世界では、米議会も日本の議会も新しい議員構成となり、大きく動こうとしています。自然界では桜島や御嶽山に続き、地殻変動をもたらすフォッサマグナ(大きな溝)域内にある富士山の噴火する可能性が高まってきているとの報告もあります。「一富士二鷹…」などと悠長なことを言っていられる場合じゃないのかもしれません。
 年の初めに占いや初夢を少しだけ楽しんだ後は、堅実な社会の歩みに期待したいものです。そしてなによりも、読者のみなさまの健康が第一ですね。無理のない範囲で、多少の無理をするほうが、刺激があって心身にはいいのかもしれません。ひつじ年の今年は、「羊頭狗肉」に騙されないように、「多岐亡羊」することなく、唱歌・箱根八里にあるような「羊腸小径」の道のりを一歩ずつ、心して歩んで行きたいものです。【石原 嵩】

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