1971年に歌手デビュー。しかし、当初はバラエティー番組の仕事ばかりをこなす日々。「なんで歌が売れないのだろう」。心の葛藤と闘う毎日を過ごした。ある日、事務所社長にレコード会社移籍を直談判。75年、移籍後第1弾として出した「愚図」がヒットした。
歌手として成功してもバラエティーの仕事はやめなかった。「それがないと『研ナオコ』は成立しませんから」。コメディエンヌとしてお茶の間に笑いの渦を巻き起こしても「自分のどこが面白いのか分からない。その場の雰囲気と感覚のみでやっているだけなのです」と話す。
昨年、長男がカリフォルニア州立大学ノースリッジ校を卒業した。青く広がる大空、人目を気にせず歩ける開放的な雰囲気が好きで、長男が在学中は頻繁にLAを訪れていたという。しかし小東京は今回が初めて。「『東京』という響きから、遠ざけていたのかもしれないですね」
45周年を迎えたが、「芸能界を生き抜く秘訣があったら教えてほしいくらい。ひとりでは生きられない世界。でも私はスタッフに恵まれてきました」と振り返る。
今年は記念アルバム「雨のち晴れ、ときどき涙」を制作。歌手としての原点に戻った。「45周年だからといって特別な思いはありません。まだやらなければならないことがたくさんある。45年は通過点に過ぎないのです」。彼女の躍進はまだ始まったばかりなのかもしれない。