東京五輪・パラがいよいよ8カ月後に迫った。オリンピックは、「スポーツの祭典」と並んで政治が絡んだ「平和の祭典」とよく言われる。まさにその通り。戦争が起こっては、競技どころではない。1940年に予定された東京五輪は日中戦争の影響でヘルシンキに移り、そして大会自体も中止となった。
80年のモスクワ五輪では、代表権を獲得したにもかかわらず約50カ国の選手が参加できなかった。その中には、戦争を放棄した日本の選手148人も巻き込まれた。東西冷戦下の当時、ソ連のアフガニスタンへの軍事侵攻に対し、アメリカのボイコットの呼びかけに西側諸国とともに日本も呼応してしまったのだ。
当時の私は小学生だったため、大会不参加の政治的背景を理解できなかった。ただ、五輪連覇を狙っていたレスリングの選手が男泣きし、金メダルの有力候補たちが悔しがっていたのを覚えている。夢見た檜舞台に立てなかった選手たちの気持ちは、本人たちにしか分からないと、今は理解できる。
アメリカのカーター大統領が代表選手を集めボイコットの経緯を説明したのに対し、日本はそれがなく選手は納得がいかなかったのは当然。その4年後のロサンゼルス五輪は、ソ連や東ドイツなど強豪東側諸国がボイコット。悲劇が繰り返された。このように五輪は、政治の影響を強く受ける。2年前の冬季五輪では、開催国の思惑の政治色の濃い大会だった。東京五輪では、それがあるのなら震災からの復興と平和を訴えてもらいたい。
モスクワ五輪出場を逃した当時の日本代表選手に配慮し、東京五輪の選手団の結団式や試合会場に招待するという計画を、同五輪で金メダルが有力視されながら涙をのんだJOCの山下会長が発表した。この良案を「すばらしい」と絶賛したIOCのバッハ会長は、フェンシングの元西ドイツ五輪代表。2会長はともに五輪金メダリストだ。「アスリート・ファースト」などと、軽々しく言う政治家がいるが、この2人は選手の気持ちよくが分かる。2人が並んで、幻の五輪代表選手たちの首に金メダルを掛けてもらいたい。【永田 潤】