毎年、クリスマス時は、久しぶりに集まる家族や、ご無沙汰していた友人、知人へのあいさつで、一年を振り返る。滞米約40年、過ぎた日々に思いを重ねることも多い。渡米して結婚し、就職し、子供が生まれ、成長して巣立った。そしてある日、もう若くない自分の姿を鏡の中に見る。世の中はテクノロジーの進歩で激変もした。
それでも、毎年この時期は、街路も住宅街も、今も昔も変わらぬ優しさに満ちる。街は飾り付けで華やぎ、モールや商店街で家族や友人に送るプレゼントを探す人々の姿がいとおしい。この時期だけ、夜は各家がカーテンを開け、キラキラ輝く室内のクリスマスツリーを見せてくれる。
各地に散った子どもたちが帰省し、一緒に時間をかけてご馳走を作り、一緒に食べる。避けなければならない話題は避け、微妙に互いを気遣いながら、近況を伝えあう。良いことも、悪いことも、それとなく伝えながら、それとなく押しはかる。どうということもない会話の中で、一年を振り返り、反省し、来年はこうしようと決心する。家族との素朴な会話は身に染みる。この時を持つために皆が無理をしてでも帰省するのかもしれない。
渡米直後には、まだ背負ってきた日本文化の影響力が大きく、クリスマスよりお正月のほうが「一年の計は元旦にあり」の感が強かった。しかし、滞米年数が増すにつれ、徐々にクリスマスのほうに比重が傾いていった。子供は米国人として成長するのだから当然であり、また、親も年毎に米国の慣習に溶け込んでゆく。いつしか日系米国人になる。
クリスマスは一年を締めくくる節目であり、何があろうと、家族は支えてくれると再確認する時でもある。子供は再び巣から飛び立ち、自分の世界を目指してゆく。後ろ姿を見送った後、親は、記憶に残る日本の正月の準備にかかる。
クリスマスと正月のお祝いと、二重の祝日を祝う40年であった。それなりの困難もあったが、それ故の成長も、喜びもあった。令和二年は、どんなチャレンジができるだろうかと、胸躍る。【萩野千鶴子】