時は3月末、場所はシカゴ、13歳のアダム・トレド少年が警官に追い詰められて逃げ込んだ裏道で、両手を上げるのと、警官の拳銃が火を噴くのが同時のように見えた。警官はその時、少年の手には拳銃が握られていたと主張、ボディーカメラの映像の同じところが何度も繰り返し映し出された。事件後の検証で、少年が持っていたらしい拳銃が塀の裏から見つかった。少年は拳銃を投げ出して両手を上げた、というように思われるのだが…。
 そして少年の命は無残な形で奪われた。
 ミネアポリスでは全米の注目の中、ジョージ・フロイド氏を膝の下に圧死させた警官の裁判が開かれ、警官の職務の範疇(はんちゅう)を超えた暴力行為がフロイド氏を死に至らしめたとして、陪審員は起訴項目3件すべて有罪の判決を下した。
 これで危惧された抗議デモが暴動に発展することなく収まったが、その間にも各地で銃による犯罪や、取り締まる側の警察官の行き過ぎた発砲で、有色人種の死傷者が後を絶たない。
 13歳の少年の遺族や支援者たちは涙と怒りで警察に事件の経緯を明らかにするよう求め、抗議デモが行われた。
 やっとティーンエージャーになったばかりの息子を亡くした両親の悲しみはいかばかりか、と思いながら、13歳の少年が事件の発生した午前2時半ごろ、路上でいったい何をしていたのかという疑問が誰からも出てこない不思議に出会った。
 世の中、理不尽なことが多すぎるのは分かるが、警官の行き過ぎた行為、あるいは誤った判断を非難する前に、その時間帯なら当然家族と共にベッドの中で健康な寝息を立てているはずの13歳が、どうして警官に追われなければならなかったのかを、考えねばならない。
 悲しみの底にある彼の両親をむち打つつもりは毛頭ないが、このような事件が後を絶たない今日、未成年者を守るはずの保護者や家庭の在り方から考えなければ、悲劇はこれからも続く。
 コミュニティーの核である家庭の一つ一つが責任の在り処を認識しなければ、13歳のアダムはこれからも、大人になることなく死んでゆくだろう。【川口加代子】磁針

Leave a comment

Your email address will not be published. Required fields are marked *