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青い季節 (6月 井上靖) 野本一平

野本一平 六月のことを、古い日本語では「みなづき」と呼んでいる。 漢字を「水無月」とあてて、書いている。文字の意味をそのままとると、水の無い月とうけとれる。 六月が水の無い月だなど、とんでもないことで、日本は梅雨の季節である。 では何故、「水無月」と書くのであろうか。漢字の「無」をナと読ませているが、文字通り無いという意味ではなく、これは何々の、にあたる所属を表わす「の」の意味で、ただ「無」という字をあてただけである。 たとえば、ミナモトの語源は「ミズノモト」(水のもと)だし、ミナトが「ミズノツ」(水の津)であるように、ミナヅキは「ミズノツキ」(水の月)ということになる。 漢字で水無月と書いたのとは、まったく反対の意味で、日本の季節がいうように、六月はまちがいなく、水の月にちがいない。というより、いよいよ暑さに向かう月でもあり、水の重宝な季節を、こう呼びならわした昔の人たちの、自然観がうれしい。 前置きが長くなった。 ところで現代詩人は、この六月をどのように詠っているのだろうか。 井上靖の詩を読んでみよう。多くの人たちは、彼を詩人としてより、高名な小説家として記憶している。だが知る人は、彼は終生、詩人の務侍(きょうじ)を持した作家であったことを、ひそかに敬愛する。