子供の頃は、毎日嫌な夢に脅かされていました。起きていても夢の続きが頭の中で現れ、寝ている時には同じパターンで現れる不快な夢の続きに付き合わなければならず、いよいよ寝ているのか起きているのか分からない状態にまでなってきた時に、初めて母に相談しました。自分で伝えることも難しいような症状を母に言っても、取り合ってくれないと思っていましたが、母は丁寧に話を聞いてくれて、私を病院に連れて行きました。先生が何をどう判断したのか覚えてもいませんが、私は自律神経失調症という、つかみどころのない病気だと判断されました。薬を処方されることもなく、成長期にはあることだということだけでした。それが何だか理解もできないのでしたが、自分は自律神経に障害があるのだ、という厄介者を自分の上にドンと背負わされたのを記憶しています。
 生きていると、特に苦しい時には、不満、妬み、憧れ、怒り、不安などさまざまなネガティブな感情がでてくるものです。嬉しい、楽しい、幸せだ、などのプラスの感情がネガティブな感情より勝っている時には、問題ないのですが、一度マイナスになると、浮上するのには時間と精神的な強い力が必要でした。子供の頃の私はずっと自分との闘いをしてきました。何年かすると少しずつ不快な夜が訪れることは減っていき、ある時、夢の続きが出てきて、そこに終わりがありました。すこしだけ成長した瞬間だったのかもしれません。そして、その時には不快な毎日がちょうど良かったのだと思っています。
 お釈迦さまの言葉に、こんな言葉があるそうです。「今のあなたに今の夫がちょうどいい。今のあなたに今の妻がちょうどいい。今のあなたに今の子供がちょうどいい。今のあなたに今の親がちょうどいい。今のあなたに今の兄弟がちょうどいい。今のあなたに今の友人がちょうどいい。今のあなたに今の仕事がちょうどいい。死ぬ日もあなたにちょうどいい。すべてがあなたにちょうどいい」
 結局は、その人にあった生を受け、自分にあった苦難を授かり、自分にちょうど良い喜びを感じ、自分にちょうど良い死をいただくのです。【朝倉巨瑞】

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