記者会見に臨んだ(左から)稲塚秀孝監督、仲代達矢さん、朝倉代表
記者会見に臨んだ(左から)稲塚秀孝監督、仲代達矢さん、朝倉代表
 10日に開幕した「ジャパン・フィルムフェスティバル・ロサンゼルス(日米メディア協会主催・朝倉巨瑞代表)」は、10回目の開催を記念し、俳優の仲代達矢さんを招待した。仲代さんは、開幕前夜に行われた記者会見に臨み、同祭で公開する自身が出演した「天国と地獄」や「用心棒」など黒澤映画と、黒澤監督から指導を受けた当時の逸話などを紹介した。映画祭は今週末は、オレンジ郡とサンディエゴ各所で催される。

 同映画祭はジャンルにこだわらず、質のいい日本映画を紹介することで、日米交流を促進させる目的が含まれている。記者会見で、あいさつした朝倉代表は、同祭について「アットホームな形でやってきた」と前身の茶の間フェイルムフェスティバルのコンセプトを踏襲していることを強調。「大手の配給作品のみならず、(低予算のショートフィルムなどにも)名画がたくさんある。そのような作品の紹介を心掛けている」と説明した。
 仲代さんは、同祭に出品した黒澤映画2本と、60年におよぶ自身の俳優人生について語った。20代の頃に出演した黒澤映画の「七人の侍」では、「2秒か3秒のシーンで、侍の歩き方について、何回も何回も撮り直しして、一日かかって指導された。黒澤監督は、厳しかった」と、駆け出しの頃の苦い思い出を振り返った。後進の指導には長年、力を注いでおり、かつての日本映画の全盛期を回想しながら「黄金時代を取り戻すために、次世代の若者が、プロの役者(自身)が技を磨いている姿を見てほしい」と、模範として次回作に臨む決意を示した。

映画祭の開幕を祝い乾杯する仲代達矢さん(中央)と前夜祭参加者
映画祭の開幕を祝い乾杯する仲代達矢さん(中央)と前夜祭参加者
 仲代さんは、81年の人生の中で、飢えを凌いだ辛い少年期の戦争体験が、俳優業に影響を与えているとし、「昭和20年の8月15日の1日を境に敗戦となり、(国民は)1日で親米派になった」と表現した。「青春期のこの思いが、これまでの150本の映画を作る上で、常に悪しき社会への抵抗だと思って俳優を続けてきた」と述べた。最も印象に残る出演作品を問われ、「成功した素晴らしい作品にも、失敗した作品にも愛着があるが、一本あげるとすれば」とした上で、「腹切」を選んだ。仲代さんは、当地でトークショーを3回開いた。
 仲代さんの俳優としての生き様を描いた、同祭で公開したドキュメンタリーについて、稲塚秀孝監督が説明した。監督は、テレビドラマを制作をした若い頃のに仲代さんと仕事をし「仲代さんの演技を目の当たりにした」と、主役起用をのチャンスをうかがっていたようで「(仏の劇作家)イヨネスの不条理劇『授業』で演じるということで、密着で撮らしてもらうことを承諾された」と話した。「役作りやセリフの覚え方とその苦しみをまとめた」と話した。
 稲塚監督は、社会性のある映画作りに定評があり、同映画祭には「二重被爆」や「フクシマ2011」などを出品したことがある。会見では、富山県出身の育種家の偉業を取り上げた「NORIN TEN”農の神”と呼ばれた男 稲塚権次郎物語」について説明した。「小麦の種が米国に渡り、メキシコの研究所内でメキシコの種と交配され、世界の食糧危機を救う『緑の革命』に発展した」と紹介した。作品は仲代さんを主役とし、完成した際にはロサンゼルスで先行上映する考えを示している。
 映画祭のチケットは前売り10ドル、当日12ドル。ウェブサイトか紀伊國屋書店、スパ利楽園で購入できる。
 問い合わせは、日米メディア協会の朝倉さんまで、電話949・400・2455。
 www.jffla.org

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