日ごろ丈夫な私が突然熱を出した。ここのところ疲れが溜まっていたようだ。
「鬼のかくらんね」と言いながら、子育て時期に使っていた水銀体温計を取り出して熱を測ろうとするのだが、なかなか読み取れない。水銀柱がいったいどこまで伸びているのか目をこらし、リーディンググラスをかけててもかなり難しいのだ。
ついに、新しい体温計を夫に買ってきてもらった。
時代遅れだったわが家にやってきた最新の体温計は、計測が驚くほど早く、結果も読みやすい。以前は検温に最低でも2分かかったものが、新しい体温計は口に含んで5秒も経てばチッチッチッと測定終了を知らせる。
測定値を見るにも、体温計をクルクル回して水銀柱の先端を探していたときとは全く違い、大きな数字で体温が表示されるデジタル式だ。
数字の背景が赤いのは、高熱だからとか。その色が、熱が下がるにつれてオレンジ色、緑色と、まるで信号機のように変化するのは、一般向けに、分かりやすいようにと開発された商品なのだろう。
発熱して初めて、これまで自分の平熱を知らなかったことに気づいた。体調が完全に回復したのを見計らい、夫と2人で朝・昼・夜と何度か測定。大体の目安が分かった。
水銀入りの古い体温計をどう処分したものかと考えていると、「取っておいたほうがいいですよ。電池が切れたら電子式は役に立たないし、いざ必要だというときに限って電池切れがおきるものですから…」と友人。
それを聞いて「似たようなことがあったな」と思い出したのは、電話機のこと。現在家の中に何箇所も置いている電話は、かなり離れたところへも子機を持ち運びできて便利なのだが、いったん停電となると全く使えなくなる。そのため、電気を必要としない旧式の電話も、まだ一機だけ残しているのだ。
驚くほど便利になった機器の世界だが、旧式はバックアップとして役に立つことがあると思うと、水銀式体温計も可愛らしく感じられる。年をとり自分自身が旧式の仲間入りをしつつあるからかもしれないが。【楠瀬明子】