「もう半分リタイアの気持ちなんだ」と東日本大震災の取材でお世話になったドライバーの男性は言った。偶然にも東京の家の近所に住んでいることが分かり食事をした。42歳、まだまだ脂が乗って現役だと思っていたのに。
チームで真夏の被災地を駆けずりまわったこと、1分1秒を争ってリポートを作り放送したことを思い出した。夫婦共々もう十分に働いた、ということで仕事を減らし、海の近くでゆっくりと暮らしたいという。
二人とも40代前半、私とはほぼ同じ世代。早すぎやしないだろうか、この先の人生は長すぎるのではないか、とつい案じてしまった。人生80年の時代、さらにいえば日本の最高齢者はいま116歳…。ロサンゼルスの日系社会ではリタイアという言葉がないくらい、生涯現役で生き生きと働いている人たちをたくさん見てきたからだろうか。
この7月、その彼と訪れたような被災地の光景をテレビで目にすることになった。既視感を覚えて動揺する。西日本を襲った豪雨ではこれまでに分かっているだけで死者は220人以上。さらに日本各地を襲う連日の猛暑。気象庁が「異常気象」「災害と言える暑さ」と表現するほどの事態に見舞われている。
この一連の報道をいち視聴者として見ていると、現場にいる感覚を思い出してはハッと我に帰ることがある。その一方で、どこか他人事のように、遠い場所で起きている出来事のように感じてしまう瞬間もある。
さまざまな問題を他人事ではなく少しでも身近に感じてもらう、意識のギャップを埋める、そして、被害に遭う人を少しでも減らす。そのことが自分に与えられた仕事であり使命だと思ってきた。それなのに、自分がまさにその「他人事のように感じる人」になっていることに違和感や心の置き場のなさを感じ、どう気持ちを整理したらいいか分からないでいる。
さあ、再び現場に戻るべきか。それとも、ワークライフバランスを考え、できる範囲内で社会の関心を高める道を探るのか。まだ結論は出ない。おそらく今は人生を顧みる時期なのかもしれない。半分リタイアも悪くはないが、そろそろ新しい目標が欲しくなってきてもいる。【中西奈緒】