空気がキリっと変わる10月。病気療養中の父に異変が起きた。急ぎ帰省した数日後、家族と同居していた97歳の祖母が高齢者施設に入所した。父が救急搬送され入院したのも同じ日だった。わたしと叔父は祖母に、母は父に付き添った。
 関西からは叔母二人が里帰り。すると今度は末の叔母が入院した。きょうだい二人が立て続けに入院する事態に、皆、驚く暇もなかった。
 家長のいない実家に親戚が集まる。数年ぶりに会った従兄弟と話し、叔父や叔母の昔話を夜更けまで聞いた。自分の生まれるずっと以前の生活のようす、生前の曽祖父母のことなど、多方面へ広がる話はとても興味深く、思い浮かべたイメージが心に残った。
 昭和の日本、貧しさの残る地方の話を血の繋がる親戚から聞けたこと。遠くに住む者にはそれ自体が貴重で、ありがたいことだと気付かされた。
 父の入院中ひとりで暮らす母のことも思った。山と田畑に囲まれた現在の実家は高齢者のひとり暮らしには向いておらず、本人の心細さを想像した。誰かが住まなければ、たちどころに傷んでしまう家と土地。家人が高齢になればそれらを美しく保つことも難しい。
 実家の変化に伴い地域にも目を向けると、高齢化と過疎化へと進むただならぬ変化を実感する。空き家は増え、神社は朽ち落ちた。使われなくなった公共施設、商店を見て思うことは、人口ひしめくLAとの差だ。個人の力では双方の差を縮めることなど難しく、もどかしさだけを感じる。
 海外へ渡った先人も日本に残した家族や親戚との関係を抱え、それらに対応しながら自分の生き方を選んできたに違いない。秋景色を見ていると、自分はどこでどう老いていくのかを問われているように思えてきた。【麻生美重】

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