探し物をしていると、目的のものではないものが出てきて、結局何を探していたのかが分からなくなる笑い話のようなことが続いている。パズルの数独の本が何冊も出てきた。つい取り掛かると次から次に解いていかないと一冊が終わらないという気分になる。続けて解いていると、頭の体操より中毒になるのでは? という疑問にぶつかって、本を閉じた。完成すると達成感はあるが、数式を解いた時とは違う感覚だ。
万葉集にある歌の現代表記は、どんな原本表記から変換されたものか、あの文字がこの言葉になったのかを考えるのは素人には難しいが頭の体操だ。例えば、「恋ひ余り」は「孤悲安麻里」で孤悲が恋ひに表記。他の歌で「恋はまされど」は「恋益跡」など恋を同じ表記にしているものもある。万葉集の原本が存在しない上、手書きの複写で残されているため複写した人の判断で原本の文字が変えられていることは当然あり得る。だから、誤字もあるということだ。いまだに研究が続けられている所以だろう。
1200年の昔に思いを馳せ、当時の生活・習慣や恋の形態を現代とは違っていると想像するのは楽しい。今から30年位前まであった文通なども、今の若い人には理解されない。万葉の時代のことなど想像すらできないかもしれない。
万葉から時代が進んで中世に出された今様集の梁塵秘抄は、民間で流行っていた歌謡を後白河上皇が編纂、自ら今様を学んで何度も咽喉をつぶしたというからすごい。その節回しは知られていないのが残念であるが、歌詞から当時の生活や心情は伝わってくる。学者でなくても、想像して楽しめる。新しい情報は速くて多すぎるが、ゆっくりした時代の情報は、慌てないであれこれ考え、当時の生活形態を想像しながら考え方や移動方法、伝達手段など全てを昔に戻してあれこれ想像する楽しみ方がある。
頭を使っても想像に難いことがあるが、1000年の時空を超えてと思うと、単なる謎解きではないロマンを感じる。
当地でも盛んな川柳や俳句。移住してきた当初から、当時の生活が分かるものがほとんどだ。そこにある思いや情感に引き寄せられる。ここにもロマンが。【大石克子】