支援している文化団体へのサポートのお礼を兼ねてコミュニティーのあの人この人に「いかがですか」と電話をかける機会が増えた。
 その範囲で知ることは、みんな実に真面目に150日の長丁場を自主隔離に励んでいることである。
 もちろん私が電話をする方たちはほとんどがシニアとその予備軍ではあるが。
 戦中戦後を日本で過ごした私たちの世代や、れっきとした市民でありながら敵性外国人の扱いを受けた日系二世と勤勉で正直なその両親たちには「我慢」という特技がある。多少のことには耐えて時期を待つ力がある。
 若い世代には権利を主張するパワーはあっても、それに伴う義務や他を思いやる心に欠けるような気がする。
 「私だってたまには友達とお茶でも飲みながら話をしたいけれど、今は我慢しなければね。この頃の若い者は…」96歳のMさんの口からため息がもれ、後の言葉が続かない。インターネットなど縁のない世代が頑張っているのである。
 「マスクをするかしないかを自分で選ぶ権利があり、仲間と一緒にパーティーを開いて楽しむ権利がある」
 携帯電話やコンピューターを駆使して社会と何らかの形で接触できる世代がこれでは、コロナにとって地球という星は住み心地がよくてなかなか退散する気にはならないだろう。
 公認会計士のAさんは、大手商社とその子会社の会計監査が主な仕事。本来ならば飛行機で米国内やメキシコの支店や子会社を回り、月の半分は自宅にいない人だったが、その仕事のほとんどはコンピューターで自宅から処理できるようになった。各地の経理関係者と会わなくなって思うことは、「私の仕事は、数字や帳尻をあわせることだけではなかった。人との接触がどれほど生きがいになっていたか、コンピューターにできない仕事があったのだと思います。早く正常に戻ってほしいものです」。しみじみそう語った。
 家族、友達、ご近所、職場の仲間そして社会とのつながり、手を取り合い、肩を抱き合う小さなジェスチャーまで禁止された時、私たちは人とのつながりのぬくもりをつくづく恋しく思う。
 さあ、もう一息の「我慢です」【川口加代子】

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