今年も残すところ、一週間となった。今年の干支の子は、一(はじめ)と了(おわり)からできていたが、始めから終わりまでコロナ禍で予想だにしなかったパンデミックを体験した。了だから今年中でコロナが収まってくれるかと思ったが第3波、第4波と収束の気配がないばかりかウイルスは強力に変化しているらしい。
100年前のパンデミックの時より進歩した現代、情報の伝達が進歩して感染予防などの大事な情報が早くみんなに行き渡ってうまくいくのかと思いきや、その情報を故意に受け入れないどころか、感染が拡大するからしないでということをわざわざして、重症になったり、死亡したりするケースもあった。
しかも、100年前より交通網、手段の発達により人の移動が容易に広範囲にできるようになった。人と一緒にウイルスも動く。旅行は控えてと言っても、ホリデーシーズンは移動して人が集まり、その後は感染が拡大、死者も増える。クリスマスでまた同じことの繰り返しが予想される。マスク着用の奨励に対する反発もあるが、研究者が発表する効果は思った以上。
この一年、新発見の毎日だった。ごみから教えられることが、多々あった。そして何故か清貧を想った。貧乏へのすすめではなく、中野孝次氏の言う「自由でゆたかな内面生活をするために、あえて選んだシンプル・ライフ」。
簡素だが充実した生活、混じりっ気なしの本物の野菜や魚、季節でしか取れないものだけで成り立つ暮らしは現代では最もぜいたくと言っていいだろうが、そういう暮らしを目指しているのが清貧だという。物や金への執着と関心が強ければ強いほど内面のゆたかさは失われる。できるだけ簡素単純な生活をして心の世界をぜいたくにしようと言っている。
ロックダウンになって経済活動は停滞。そこで、無料の食事や食材の提供が始まった。ホームレスの人たちにも運ばれてくる。働き口がなく経済的に大変だろうと支援活動が拡大している。この状況の中でも物が豊富だから、ごみが増えるのではと思えて仕方がない。
簡素で足るを知る生活を改めて考えた今年だった。了には、明らか・悟りの意味もある。【大石克子】