風薫る5月。新芽が吹き出す5月。その上を渡ってくる風の中に、爽やかな色やかすかな匂いを感じる。世界の言語にはそれぞれの良さがあるだろうが、英語圏の中で生活していると、四季折々の自然の変化を繊細に表す日本語に出くわして、しばし感嘆することがある。ああ、いいなあ、なんてピッタリの表現だろう。言語のいらない芸術もあるが、なんとも言えない体感を、言葉でドンピシャリ表現できたらと思う。特にみずみずしい若葉を見る春先は、ふさわしい言葉を求めてさまよう。
 そんなうれしい季節を追いかけるように、コロナワクチン接種も進み、人々が蟄居(ちっきょ)生活から外に出て背伸びする。
 ビジネスの世界に身を置いているが、コロナの驚異が始まった最初の3カ月を過ぎた7月初めから、エッセンシャルワーカーの私は、いつも通り働きに出て、忙しい毎日だった。しかし、街はまるで無人の別世界で、人っ子一人歩いていず、車一台走っていなかった。フリーウエーはガラガラで別世界に向かって吸い込まれるような恐怖を感じたものだ。思わず身震いした。そういう状態が約半年続いた。ワクチン開発のニュースとともに、だんだん人影が増し、走る車も増えてきた。人間世界に戻ってゆくプロセスを目の当たりにして、うれしかった。人の姿を目にするとホッとした。千差万別な人々がいてこそ、世界に意味がある。
 コロナ自粛が終了したら、何を一番最初にしたいかという調査結果をタウン誌で見た。一番人気は友達と会ってお茶を飲みながらおしゃべりをすること。こんな何でもないことができなくなって初めて、それが、実は私たちの精神衛生に大切な役割を果たしていたのだと再認識した。
 先日ワクチン接種を終えた友人を訪問し、一杯のコーヒーを前に、1年ぶりにおしゃベリした。白髪としわが増えたのはお互いさまで、1年分の歳は十分にとっていたが、老いた体に潜む変わらぬ乙女心は健在であった。話したいことは山ほどある。コロナの閉じこもり生活の中でこそ見つめた、何が大切で、今、何をしておかねばそう遠くない自分の死に間に合わないかなど、話し合った。庭は花々であふれ、海からの潮風、さえずる小鳥たち、ふんわり温かい大気に包まれた会話。コロナ禍を耐えた後のやすらぎだ。
 ふと、もしわれわれが40~50年前に渡米せず、日本で生活していたらどうなっていただろう、と友が言った。当時の米国生活では周囲に日本人、いやアジア人さえいなかった。一人ぼっちで道なき道を切り開いてきた。がむしゃらな努力の末に手に入った小さな達成感。そして老いた時、ようやく来し方を振り返る余裕を持つ。
 私の脳裏にはいつも一人の日本女性の姿がよみがえる。若かった頃、親戚の葬式に田舎へ帰省した時のこと。葬式の手伝いに来ていた近所の農家の5〜6人の主婦たちの中にその人はいた。真っ白いエプロン、きちんと結んだ髪、すっと立つ姿に、思わずあの人は誰と聞いてしまった。葬式終了後に、その人から私の所にお茶を飲みに来ませんかと誘われた。母屋の物置だった暗い場所に一人住まいだった。3畳の畳をひき、土間で煮炊きをする。出された一杯のお茶は熱くておいしかった。梅干しの汁に漬けられた桜色のカブの漬物が出された。カブの自然の甘さと梅干し汁の酸っぱさが程よい加減だ。その人は正座して、天候やお米や野菜の収穫状況などを話した。彼女は嫁に行った先の婚家と折り合いが悪く帰ってきた。兄が継いだ家の物置に住まわせてもらい、近所の野良仕事の手伝いなどで生活していた。トイレは家から離れた畑の中だった。夜はそこに行くのに、懐中電灯がいる。そういう暮らしでも、手作りの棚に最低限度の生活用品が並び、きちんとした生活が伺えた。
 その人が今の時代に生きていたら違った生き方ができたのではないかと思い出す。今はいろいろな選択ができ、何度でも再出発できる。選択がなかった時代に覚悟を決め、清廉潔白に生きた人もいた。自己責任を持って、やりたいことに挑戦できる今の時代。先人が汗と涙のこの道を作ってくれた。その恩権を受けた者として、それをどう社会に還元できるか、還元したい、しなければと思う。選択がなかった人たちの生涯を思いながら、一杯のコーヒーを前に滞米50年の友と語らう。道は続く。庭の若葉がまぶしく、風が薫る。

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