メキシコとの国境近くの町に行った折、同国出身という女性に出会い話をした。25年以上前にアメリカへ来て以来、シミバレーやオレンジ郡を転々としながら国の家族に仕送りを続けたと言う。約5年前に国境の壁が見える付近にゲストハウスを借りた。老いた母親が国境の向こう側の町にいる。少しでも近くにいて世話をしたいと思い移って来たが「コロナ禍になってからは里帰りも思うようにできない」と、女性はため息交じりに語った。
 娘が母を語るもうひとつの話を思い出しながら聞いた。その手紙は、ある読者から羅府新報にEメールで届いた。送信者はロレッタ・ハルトマンさん。ロレッタさんと両親の3人は1948年に日本から渡米した。母のふじ子さんは、いわゆる「戦争花嫁」だった。当時のふじ子さんは英語がまったくできなかったが、夫の助けを借りながら英語学習に取り組んだ。
 ロレッタさんが小学校3年生になるころには、母の学習を手伝うことが日課となった。ロレッタさんが学校に行っている間に、ふじ子さんは羅府新報の日本語の紙面を読み、その記事の英語版を英語紙面から見つける。分からない英単語に下線を引き、それらをノートに書き写した後、辞書を引いて意味を理解する。ロレッタさんの帰宅後は、印をつけた単語を2人で読んで発音を確認。母はその単語を使って文章を作り、娘は言葉の起源を解説する―。
 こうした日々を送り、英語を克服したふじ子さんは、晴れて米国市民となった。現在95歳。今でもLAタイムズを読むのに困らないという生活を続けている。
 ロレッタさんはこの話を次のように結んだ。「たくさんの戦争花嫁や日系移民が羅府新報から英語を学んでいる。困難な時も羅府新報は日系社会に情報を提供してきた。私たち家族はそのことにとても感謝している」
 移民にはそれぞれのストーリーがあり誰一人として同じではないが、この国に溶け込もうとする思いや努力は等しくある。羅府新報が日系移民と共に歩んできた道を改めて考える好機を得たことに、私の方こそ感謝している。【麻生美重】磁針

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