今年7月ユネスコ世界文化遺産に登録された「北海道・北東北の縄文遺跡群」のすぐ近くにある実家で過ごしているが、わが町にも縄文時代と弥生初期の遺跡が何カ所もある、正確には「あった」が正しいが。高速道路やバイパス整備などの工事が入る前の調査では必ずと言っていいほど遺跡の埋蔵品が出てきていた。発掘調査が終わると工事現場になるという繰り返しで住居跡も何も残されていない。
 わが町は世界遺産に登録された御所野遺跡と是川遺跡の間に位置し、当時はこれらの遺跡がある地域と交流はあったものと思われる。というのは、祭祀(さいし)やイベントに使われたであろうと想像される、他の遺跡では見られない遺物、日常生活に直接必要のない土製品、石刀、石棒や単孔土器、香炉、朱彩された注口土器などが見つかっている遺跡がある。たくさんの遺跡から、生活中心、祭祀用集落など用途に分かれていたことや、建物跡や埋葬地、捨て場の状況からもいろいろと想像をかき立てられる。注口土器は北海道との関連がうかがえるということで、当時の交流は結構広範囲だったのかとその手段にも興味がわく。
 一万年以上も続いたといわれる縄文時代。西暦になって二千年など、その五分の一程度だと思うと、何とも気が遠くなる。縄文土器と一言で片づけて、縄目模様の食品保存や煮炊き用の寸胴鍋のような形だけを想像する方も多いかもしれないが、現在のやかんや急須のように注ぎ口がついていたり、つり手がついたつぼや台付きのつぼ、しかも接着剤(アスファルト)を使用して再利用していたものまである。長い間には発見もあっただろうし、さまざまな工夫や技術を磨いていったものと思う。
 太陽や月を見て天候や災害予知もしたかもしれない、季節の風や雪とどんな付き合い方をしてきたのだろうか。一万年も人の営みが続けられたことの中に、今、私たちが突きつけられている気候変動対策のヒントがないのだろうか、とさえ思ってしまう。  遠い古代に思いをはせて夢の世界に浸っていて、ふと現実に帰ると、同じ質問を何十回繰り返し、饅頭を構いなく何個でも食べようとする母が目の前にいて目が離せない。【大石克子】

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