80年前の5月、小東京の日系コミュニティーは強制立ち退き命令によってこの町から収容所へと向かった。
この5月、私の勤務先の全米日系人博物館で「BeHere/1942 日系アメリカ人強制収容についての新たな視点」展が始まった。日本人メディアアーティストの藤幡正樹が制作したもので、中心となるのは立ち退きを再現した拡張現実(AR)のインスタレーションであるが、展覧会を通して浮かび上がるのは、記憶や記録をめぐる問い掛けである。
サンタフェ駅の荷物の上に心細げに座っている少女の写真を見たことがある方も多いだろう。しかし同じ瞬間について、撮影者が異なる別の写真があることはあまり知られていない。藤幡は立ち退きを記録した膨大な数の写真から、その1枚が写されたサンタフェ駅全体の様子をARで「再現」し、写真のフレームの外側にあるコンテクストを見せる。「誰がどこから撮っているのか」「何のために」「母親はどこにいるのか」。
写真を撮るときに、より映えるように構図を考え、物の一部を切り取るようにして写すことはよくあることだろう。写真に記録されたのは、その場に存在する物や人や出来事の断片的な一部であり、そこには写されたものと写されなかったものがある。しかし写真は残り、記憶は時の経過やストーリーの反復によって変化する。
もう一つのARは、小東京の西本願寺前からの立ち退きの様子を再現したものである。つらい歴史の再現はトラウマを引き起こすのではという懸念もあれば、歴史をフィクションとして「再現」することへの倫理性への問い掛けもあったが、完成した作品を見ると、過去の再現というだけでなく、このようなことを2度と現実に起こさないための、力強い警鐘であると感じられた。歴史的瞬間の再現と現在が重なりあって見える光景は、1942年の彼らと現在の自分たちとの違いは「時」だけであって、私たちは彼らであったのかもしれないということを、体感として強烈に実感させるものだった。(三木昌子)