わが家には柿の木がある。以前ガーデナーさんが集まるローンモアショップの人と親しくしてもらっていて、お願いして取り寄せてもらったもので、甘い実がなる。
 今年は少なめではあるが、わが家だけでは食べきれないので、お世話になっている近所の人たちに配っている。ちなみに隣の庭にはイチジクの木があり、時々きれいに熟れた実をいただく。これがまた実にうまい。
 カミさんがよくサツマ?ミカンをもらってくる。これもおいしい。香りが良く、甘み、酸味がちょうどいい。庭にまだ余裕がありそうなので、ミカンとキンカンを植えようよとカミさんにせっつかれている。たしか近所にナーセリーがあったような記憶があるので探して相談してみようかな。
 毎年のことだが、熟れ加減のころに鳥やリスが食べに来る。お日さまに当たっている側がやはり良く熟れているのか、半分ほど食べられてしまう。どうせなら丸々1個平らげてくれるとうれしいのだが、近くにある数個の実がやはり半分ずつ食べられている。
 ある日庭の水掛けをしていたら、一人の婦人が話しかけてきた。「庭に柿の実がたくさん有りますね」から、「鳥やリスが食べてますよ」になり、「もったいないですよ」となった。ようするに野生の動物にあげるくらいなら自分に分けてくれませんかと言いたいのだと思った。
 ここで、「私は隣人だが」と言葉が入る。僕らはここに移ってきて30年ほどになり、わが家の「向こう三軒、両隣」はそれ以来のお付き合い。突然隣人ですがと言われても顔も名前も知らないのだが…。
 ここは笑顔を向けながら、「鳥やリスはマーケットに買いに行けませんからね」と言ってみた。人間は自分のお金で買いに行ける。野生動物はそうはいかない。
 よく道端や広場で鳥に餌を与える人を見るが、自分的にはこちらから餌を与えることはしない。果樹園などを経営している人たちから見ればどちらも同じかもしれない。
 あとは木守り柿を2〜3個残して今年も終わりかな。(徳永憲治)

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