母の介護やら何やらで、日本と当地の往復が多くなっている昨今。先日は「Sparkle」で久しぶりにコミュニティー活動に参加した。コロナ禍ではコミュニティー活動も停滞せざるを得なかったが、昨年のSparkleは久しぶりの清掃作業で、参加者は喜々としているように見えた。今回はイベントが重なっていたが、参加者は昨年同様でこの日を待っていたかのように、小東京を念入りに清掃した。スプレーによる汚れが多く、時間も労力も要した。ホームレスは減っていても汚れは減らない。
 街路樹やプランターの植物の枝葉が投げ捨てられていたり、土が投げ捨てられていたりするのをよく見かける。自然保護とか命あるものに対する思いとかの以前の問題で、自然の中で生かされているとか、時の流れの中で植物も人間も文明も変化してきて、それが現在の生活にどう影響してきたのかを考える歴史を持っていないことに起因しているのではないかと思う。
 自然を大切にとか、植林して山を守ろうとか、単に緑化活動をすることではないのだと何かで読んだ気がする。用途によって木の種類が違ってくるし、土地に適した木がある。何でもいいから植えればいいのではない。文明が進化し技術が進歩したから全ての質が良くなっているかというと、そうではないらしい。例えば、昔からのおので木を切るのと、電動回転のこぎりで切るのでは木の繊維が違ってくるという。水の吸い込みが違ってくるのだとか。法隆寺の棟梁だった故西岡常一さんが語っていた話だった。
 千年以上建っている木造建築には、建ち続けられる理由があるということ。そういうことに目を向けられる機会もきっかけもないところにいると、木や植物に対する想像はもちろん、何の感慨も起きなくて当然になるのは、自然の成り行きなのかもしれない。
 日本書紀に須佐之男命がひげをまくと杉が生え、胸毛をまくとヒノキが生え、尻の毛をまくとマキが生え、眉毛をまくとクスノキが生えた。用い方は定められており、ヒノキは瑞宮(ずいぐう)に、杉とクスノキは船に、などである。昔から法隆寺はヒノキでなくてはならなかった。だから、1300年も続くのだと。(大石克子)

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