

鹿児島県奄美諸島出身者で構成する同郷人会「南カリフォルニア奄美会」(西元和彦会長)はこのほど、創立50周年と奄美群島の日本復帰72周年、さらに2021年の奄美大島、徳之島、沖縄島北部および西表島の世界自然遺産登録を記念する祝賀イベントをトーレンスのアームストロング劇場で開催した。物産の展示即売、島唄コンサート、大島紬(つむぎ)ショーを通し、奄美伝統の工芸品と芸能を紹介した。奄美からの訪米団一行らと喜びを共有し、島との絆を一層強めた。

西元会長によると奄美会は1975年、奄美大島出身者7、8人が「島んちゅう(島民)の飲み会を持とうではないか」と集まったことをきっかけに発足した。現在は約40家族、約100人が所属し、奄美からの来客の歓迎会や新年会、忘年会、活動資金集めのゴルフ大会と大会後の夕食会、さらに鹿児島県人会のイベントへの参加を通して親睦を深めている。加えて、節目の記念行事を5年ごとに催している。また、郷土が豪雨や台風などの自然災害に見舞われ甚大な被害が出た際にはいち早く対応し、日系社会の横のつながりを生かして支援を呼びかけ、被災地復興の義援金を送ってきた。

奄美群島は、五つの島にまたがる12市町村から成る。今回の記念行事には、奄美市、徳之島町、伊仙町、与論町、天城町の5市町から市長と副町長、民間を合わせた約40人に加え、中学生20人(奄美市16人、徳之島天城町4人)が参加し、ニューヨーク奄美会からも3人が駆けつけ交流を深めた。
物産の紹介では、大島紬(反物、扇子、小銭入れ、名刺入れ、巾着、スカーフ、ひも、クリスタル皿とコースター、文鎮など)をはじめ、焼酎、黒砂糖豆、茶葉、天然塩などが並んだ。大島紬では着物の展示が会場を彩り、奄美から輸送した織り機を使った機織りの実演も行われ、来場者の関心を集めた。

5市町の代表がステージに上がり、安田壮平・奄美市長が代表で祝辞を述べた。安田市長は「遠く離れた米国の地で奄美への郷土愛を深めながら50年という歴史をつむぎ、米国と日本そして奄美をつなぐ架け橋として活躍していることに深い感謝と敬意を表したい」と話した。奄美群島の本土復帰については、「72年の歴史を鑑み、この地で奄美の伝統芸能に触れるイベントが行われることは大変感慨深い」と語った。奄美群島国立公園については、奄美大島と徳之島に生息する多様な希少生物が国内外で高く評価され、2021年に世界自然遺産に登録されたことを力説し、「豊かな自然と共に生活していた先人たちは、島唄や六調(ろくちょう)を単なる娯楽ではなく、集い、語らい、互いの絆を深め、人々の心を結びつける大切な文化として育んできた」と強調した。「米国で活躍する皆さんと郷土奄美の結びつきがより一層強くなることを期待するとともに、奄美会が出身者の皆さんの心のよりどころとしてますます発展していくことを希望する」と語った。

島唄コンサートは、奄美から招いた唄者(うたしゃ)の平田まりなさんと楠田莉子さんが盛り上げた。2人は島唄について、それぞれの集落(島)ごとに歌い方や話し方が異なり、本土の音階とも異なる点があることを説明し、「奄美群島は、まさに文化のグラデーションが起こっている本土と沖縄をつなぐ島」と表現した。
三線(さんしん)と太鼓を使った島唄の演奏は、歓迎の歌の「あさばな節」を皮切りに、伝統民謡曲の「六調」、作曲されてからまだ50年ほどという新民謡曲の「ワイド節」などを熱唱し、大きな拍手を浴びた。平田さんは、高校時代の親友で当地で活動するダンサーの川畑まりゐさんが率いるコンテンポラリーダンスのグループ「Iju」と共演し、奄美の島唄とロサンゼルスの現代ダンスが交差するパフォーマンスを披露した。クライマックスでは、奄美会会員や奄美市長らが舞台に上がり島唄に合わせて踊り、会場を練り歩いた。会場は一体となり、ショーは最高潮に達した。

公演を終えた平田さんは「言葉が通じなくても、気持ち込めて歌うことで伝わる。改めて島唄の力を感じた。米国での演奏はとても刺激になった。この熱量をそのまま島に持ち帰りたい」と話し、念願だった親友の川畑さんとの共演を喜んだ。
楠田さんは、「地元で演奏しているようなアットホームな雰囲気を感じた、米国人の反応も良く、新鮮だった。島出身者から招いていただいたご縁を大切に、島と米国をつなぐ架け橋になれたらうれしい」と語った。
大島紬のファッションショーは、会員など男女のモデル約40人が登場。暗色を基調とした大島紬独特の泥染めに加え、白紬と呼ばれる珍しい白地の柄の着物も披露された。着物のみならず、ドレスやベストなどの洋装も紹介され、観客約400人を魅了した。

大島紬の着物を着てイベントに参加した橋本恵子さんは、「大島紬は素晴らしい伝統工芸。もっと世界に紹介され、光が当たるべきだと思う」と語った。橋本さんは即売展で日本画家・田中一村の作品が描かれたストラップを購入。田中は東京から奄美大島に移住し、奄美の大自然や希少動物を描いた作品で知られる作家だ。さらに橋本さんは、奄美出身のシンガーソングライター城南海の大ファンだともいう。橋本さん自身は鳥取県出身で、南加鳥取クラブに所属して郷土芸能の「鳥取しゃんしゃん傘踊り」を各所のイベントで披露していることから、奄美会の活動に共感している。「島唄のショーは参考になった。素晴らしい郷土の伝統文化を伝える気持ちは、われわれ鳥取県民と同じだと感じた」と話した。

奄美市の安田市長は「熱烈な歓迎を受け、奄美会の皆さんの情熱を感じた。ふるさとを大事に思っていてありがたい。奄美出身というだけで仲良くなることができるので、奄美会は異境で生きる出身者の大きな力になっていると思う」と述べた。奄美会の会員の多くが進取の気性を発揮して事業を起こし成功を収め、金品の寄付や奉仕活動を通して社会貢献を果たしている。このことについて安田市長は「島の『結』(助け合い)の精神を、米国で実践していて誇りに思う。奄美の子どもたちは、米国で活躍する奄美会の先輩を見習い、世界に飛び出してほしい」と語った。奄美会との交流については、「離島にはそれぞれの特色があり、その奄美大島独特の自然と伝統工芸、文化を発信する上で、奄美会の力を借りていきたい。会員の皆さんとの関係を大切にし、皆さんが求めるものに耳を傾けながら、われわれができる取り組みを考えたい」と語った。

奄美会の西元会長は記念行事を振り返り、「奄美と地元日系社会から多くの人に参加していただき、大きな節目を盛大に祝うことができた。また、2人の唄者を招いて島唄を聞いてもらい、世界三大織物の一つである大島紬を紹介することができ満足している」と胸を張った。イベントの成功は若い奄美系2世、3世に支えられたことを強調し、「本当によく頑張ってくれた。安心してバトンタッチできる」とたたえた。「奄美から60人ものゲストに参加してもらい、遠く離れた奄美がぐっと近くに感じられた。これからも奄美との関係を大切にし、大島紬や島唄、食べ物など奄美の伝統文化を米国で紹介したい」と抱負を述べた。


