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画家が遺してくれたもの 樋口ちづ子

 9月の初め、2週間パリに滞在したことがある。まだ、外国旅行は高根の花の時代に、コツコツ貯金をし、憧れの地にやっと行けた。留学していた知人に、安くて安全なホテルを探してもらった。質素なホテルであったが、希望通り、まるでパリジャンのように暮らすことができた。エッフェル塔に近く、古びたビルの前には地下鉄の出入り口があり、隣のビルの1階はマーケットだった。早朝、店の前は仕入れの人々が忙しく動き、地下鉄に向かって黙々と歩く通勤者の黒い群れをホテルの窓から見下ろした。  朝、お店で見事ないちじくを買い、それを食べながら、毎日セーヌ川に沿って歩き、主要観光スポットを見学した。パリ市内は、要所要所に歴史的建物があり、金張りの高い塔が陽を受けて光り輝く。それを目印に地図を片手に歩くと、寄り道自由で、大体の位置関係が分かってくる。何世紀もかかって造られてきた実に美しい街並みである。  大学で仏語を学んだ娘が、行きたかったゴッホの死んだ黄色い家に道案内してくれるはずだった。ところが「このバスよ」と、乗り込んだ小型のマイクロバスは、ゴッホの家ではなくジベルニーのモネの家に行くという。バスは走り出した後だったので、引き返せない。ま、同じ画家仲間だから、いいか。そのバスの運転手兼案内役はベルギーからの出稼ぎ女性で、パリ市内のごった返した通りを縦横無尽に走り抜けながら、仏語と英語で解説もする。仏語は鼻濁音がたくさんあるから、耳に心地よい。長々とした仏語を聞いた後に短い英語の説明。全く同じ内容を話しているのかと聞くと「そうなの、英語のほうが簡潔よね」と笑った。  パリ市街を抜け、郊外になり、そして風景は一変する。穏やかな田園が広がる田舎になる。道はまだ舗装なしの泥道だ。住宅は、米国から来た者の目には、一回り小さく、頼りなげな安普請に見える。不動産業を仕事としているので、どんな風景を見ても、建物の築年数、材質、構造など、無意識の内に推測している。  モネの家には怒涛(どとう)のように観光客が押し寄せる。画家の生涯は貧しさがつきまとうが、モネは裕福な妻のおかげか、サロンを持ち広大な庭を持った。サロンの居間は小さく、壁いっぱいに絵が掛かっている。ここに誰が集まったのか想像するだけでも楽しい。2階に上がる階段の壁に、当時の印象派の画家たちに多大な影響を与えた日本の浮世絵がたくさん飾られている。うれしい。2階のモネの寝室は頭が天井につきそうで、ベッドも小さい。写真では彼は立派なひげをたくわえた大きな人のように見えるが、実際は小柄な人だったのかもしれない。階下の、床がタイル張りのキッチンは広く、庭に開け放たれていた。  9月初期の庭は、色とりどりのダリアや花々で埋め尽くされ、絢爛(けんらん)豪華だ。広大な庭の最後にたどり着くのは、有名なスイレンの池。日本から送られたスイレンもあった。池に沿って植えられた柳の木の枝が池の上に垂れ下がり、その姿が湖面に映って幻想的な雰囲気だ。想像以上の規模と美しさに人々はぼうぜんと見入り、動かない。この世のものとは思えない景色に息をのむ。  この池の後ろはトラックが行き交う騒がしい道で、柳は目隠しの役目もしている。庭に戻り家の方を見上げた時、気が付いた。庭はほんの少し傾斜がある。だから庭にまいた水は下に流れ、受け皿の池はだんだん大きくなったのではないか。自然の地形がこの池を作り出した。画学生の時、最初に模写した絵がモネの庭だった。ひまわりが揺れる庭の上を太陽がサンサンと輝く。模写をしながら、モネが描きたかったのはひまわりではなく降り注ぐ太陽、反射する光、暖かい大気だったのだと気付かされた。傾斜のある土地の一番上に家があるから、下から上を見上げると、遠近法の効果を最大限に生かした構図になる。ああ、彼の庭の絵の秘密はこれなんだ。その場所に立ち、大気を仰いで初めて分かることがある。  美しい庭を保つために、たくさんの人が働いているに違いない。混雑した売店ではお土産が飛ぶように売れている。観光客が落とす年間の入場料や土産代は莫大(ばくだい)だろう。画家は死後フランスに末永く利益をもたらし、絵は人々の心を癒やし続ける。  パリの2週間で、私は確信した。美しいものには価値があり、物質と精神の両面で、人々を助ける力になることを。