夢をみた。
2061年3月11日午後2時46分、仙台駅へ向かって、糠雨のなかを走っていた東北新幹線「はやぶさMX」が急停車した。
乗り込んできたのは二人の「国境警備隊員」。
「さっそくでやんすがねし、みなしゃんの旅券を拝見してえもんで」
きょとんとする乗客に、国境警備隊員は、「はやぶさMX」が「外国」に入境したことを告げた。
そう、29年前、井上ひさしの書いた、「吉里吉里国」が東北に出現していたのである。
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2011年3月11日の東日本大震災から50年たった東北。そこはかつての「みちのく」ではなかった。
被災した三陸の臨海都市は、超国家的な復興計画、「三陸環境防災未来都市プロジェクト」の下に新国家に変貌していた。
すべてが過去のしがらみから解放されていた。復興工事には大手ゼネコンによる談合などはない。
世界中の英知を集めた都市計画の青写真が出来上がり、クロスオーバーなプロジェクトチームが詳細設計と見積もりを行い、公開入札で受注を競った。
海岸という海岸には50メートルの大津波がやってきてもビクともしない防波堤が張りめぐされた。漁港はそのなかにあった。
地盤沈下した臨海平地部には、農地と再生可能エネルギー発電所が配備された。居住・商業・教育地域は標高30メートル以上の後背地に建設されている。
高台には、幼稚園、学校や病院、高齢者向け施設が整然と立ち並び、エコタウンを形成している。さらにその奥には鎮守の杜が広がっている。
「吉里吉里国」の「首都」仙台は、東北大学を核とした産学協同のハイテク研究開発拠点が出来ている。世界中からIT関連やバイオの開発製造を目指す若い起業家が集まっている。
「吉里吉里国」に入国する前に通過した福島1号原発は、焼け爛れ、廃炉となり、残骸をさらしていた。ちょうど広島の原爆ドームと同じようにユネスコの世界遺産に認定されていた。
「3・11を忘れないために。人間の愚かさと傲慢さを忘れないために」。【高濱 賛】