2006年9月に調印された日比経済連携協定(EPA)では、日本で介護士として仕事ができるのは〈4年制大学卒業者でフィリピン介護士研修修了者か看護大学卒業者〉とされた。しかも、その条件には〈4年以内に日本の「介護福祉士国家資格取得」を取得しなけれならない〉という項目があった。つまり、日本語で受けるその国家資格試験に合格しなければ、フィリピン人はその時点で帰国させられる、ということだった。
 商品・製品を受け入れる意思はあるのだが、その品質検査は日本の基準で十分にさせてもらう、といって実質的にアメリカからの輸入を拒んだ、数十年前に連発された「非関税障壁」政策を思い出さずにはいられなかった。
 その、日本語での受験という障壁のために、当初の二年間に600人と日本政府が見ていた資格取得者は、現実には、ほんの数人にとどまった。そこで、日本政府は、伝統的に得意としている弥縫策を弄することにした。試験に出題される日本語のうちで特に難しいと思われる単語に英語を付すことにしたのだ。それでも合格者数はあまり増えなかった。政府は次に、受験希望者が日本に滞在できる期間を一年延ばすことにした。問題を根本的に解決するにはほど遠い、相変わらずの場当たり対応だった。
 外国人の介護士が日本政府はほしいのか、ほしくないのか? 10年、20年後の超高齢社会に日本政府が本気で対応したいのなら、資格試験は英語で出題するべきだ。それが、協定を結んだ相手、フィリピンに対する正しい礼儀というものだ。
 心配することはない。試験は英語で受けていても、主要な医療・介護用語と日常会話を別に日本語で学べば、外国人介護士にも日本で十分にいい仕事ができるだろう。アメリカで英語と日本語を日ごろから使い分けて働き暮らしている者には自明なことだと思える。日本の政府と官僚の硬い頭を「非関税障壁」にしてはならない。【江口 敦】

Leave a comment

Your email address will not be published. Required fields are marked *