15日に起こったボストン爆弾テロ。ゴール目前で多くのランナーや応援する観客が巻き込まれ、死亡者3人、負傷者170人を超える大惨事となった。
 2001年の9・11同時テロ以降、主にニューヨークを中心にテロが計画されるが未然に防がれた数々の報道を見て、あのような大規模テロはもう起こらないのではないか、などとなんとなく安心していたが、悲劇は再び起こってしまった。
 19日未明、警察当局はチェチェン出身の容疑者2人をボストン郊外で発見し、追跡。銃撃戦となり1人が死亡、残り1人は逃亡している。死亡した容疑者は爆発物を身に付けていたということだが、逃亡している容疑者がこれ以上の犠牲者を増やさないよう速やかに逮捕されることを祈る。
 たとえ犯人が生きて逮捕されても、裁判にかけられ、判決が下り、刑が執行されるまで長い時間がかかるだろう。仮に犯行の動機が明らかになっても、どのような動機も遺族や関係者を納得させることはできない。愛する人を突然奪われた悲しみと怒り、そして答えのでない「なぜ」を抱えて残りの人生を生きていかなくてはいけない。
 近年多数発生する銃乱射事件。昨年だけでもコロラドの映画館で7月、12月にはコネティカットの小学校で多くの犠牲者が出た。逮捕された犯人はいずれも若いアメリカ人。
 アルカイダ系に限らず、最近では人種・宗教差別に基づく「ヘイトクライム」が増えており、当局もテロの芽を事前に摘むことに苦慮しているという。犯人の国籍は関係なく、アメリカ市民を狙った計画はこれからもなくならないだろう。自分や愛する人がいつ巻き込まれるか分からない。テロ対策は必須だが、「テロがない社会」も同時に目指していかなくてはいつまでもテロの脅威にさらされ、安心して生活できない。
 現在地球上には60億の人間がいる。人種や宗教に左右されない普遍的な、家族や友人を大切にする気持ちなど、一つでも多くの共通項を見つけ、相手も自分と同じ人間とわかることが最初の一歩ではないだろうか。【下井庸子】

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