来場者を前に日本での経験を踏まえ、人とつながりを持つ大切さなどについて熱く語るヒルマン氏。左は同時通訳を務めたサイプレス教会の高澤健牧師
来場者を前に日本での経験を踏まえ、人とつながりを持つ大切さなどについて熱く語るヒルマン氏。左は同時通訳を務めたサイプレス教会の高澤健牧師

 2003年から5年間、北海道日本ハムファイターズの監督を務め、その卓越した指導力でチームを日本一に導いたトレイ・ヒルマン氏(現ロサンゼルス・ドジャースのベンチコーチ)による講演会が14日、小東京のユニオン教会で催され、同氏は会場に集まった約140人の来場者を前に日本での経験を踏まえ、人とつながりを持つ大切さなどについて熱く語った。【中村良子、写真も】

 来場者に敬意を示すため、伸ばしていたヒゲをこの日の朝に剃ってきたという親日家ヒルマン氏。会場いっぱいに集まった来場者を前に、「この日をとても楽しみにしていた」と深々お辞儀をし、毎日届く多くの手紙の中から、「大切な日本人のためなら」と、GMC(God’s Men Club、デービッド・リー代表)からの講演依頼を快諾した経緯を説明した。
 講演会では、5年間にわたる日本での生活を振り返り、野球とベースボールの違いをどのように乗り越え、文化や言語の違う異国の地でどのように指導力を発揮したのか、分かりやすく説明した。
 
日本を知ることから
 
 「ファイターズを優勝チームにしてほしい」との球団の明確な依頼を実現させるため、ヒルマン氏は訪日前に日本について猛勉強した。「まるで大学生に戻ったかのようにたくさんの書物を読んだ。信じられないかもしれないが、江戸時代についての本も多く読んで勉強した」
 その中で同氏がもっとも学んだのは、人を敬う日本人の気質だといい、訪日後に文化や考え方の違いでストレスを感じた時は必ず、「ここは日本。私は外国人としてこの国にお邪魔させてもらっている」と自分に言い聞かせ、日本のやり方や考え方などを尊重するよう心がけた。
 野球に関しては、アメリカのベースボール理念を頭ごなしに押し付けるのではなく、日本の野球を尊重しつつ、両方を組み合わせるよう努力。一年目は多くの失敗を経験したが、「選手の声に耳をかたむけることがよい監督やコーチの資質である」との自身の理念を通し、ファイターズの選手の声にも常に耳を傾け続けた。
 中でも記憶に残っている選手として金子誠内野手との会話を上げた。ヒルマン氏が提案していた「量よりも質の高いキャンプを」との考えがなかなか浸透せず苦闘していた時、金子選手の「監督の意見はよく理解できますが、われわれ選手は闘志を燃やすため、また野球への献身を示すために長いことグラウンドで練習をする必要があることも分かってほしい」との力強い言葉に、初めて本当の意味で日本の考え方を受け入れられるようになったと振り返った。
 
優勝チームへ成長
 

日本ハムの監督時代を振り返り、指導力などについて熱く語るヒルマン氏
日本ハムの監督時代を振り返り、指導力などについて熱く語るヒルマン氏

 監督としてすべてをコントロールしようとせず、ゲーム内容以外はそれぞれの担当者に任せることで、各自が責任を感じられるよう改革。各ポジションに優秀選手をそろえる際も、メジャーでも通用する選手とはどんな選手なのかをスカウトマンに伝え、決断や責任は彼らに託した。
 また東京から札幌に本拠地移転後は、人とのつながりを大切にするという意味で、ファンサービスに力を入れた。アメリカと違い、日本の球場はファンと選手が交流できるように作られていないため、選手を率先して球場の外に出し、駅前や商店街、また学校訪問などを通じて地域の人との交流の場を増やした。
 開幕日には、球場の入り口に選手らを立たせ、感謝の気持ちを持ってファンを迎え入れるサービスを立案。ヒルマン氏が同案をチームに発表すると、「われわれはファイターズですよ。誰も来なかったらどうするんですか」と不安な顔で相談してくる選手がいた話を振り返り、会場の笑いを誘った。
 日本文化や日本の野球に理解を示した上で選手とのコミュニケーションを密にし、球団の各担当者に責任を与え、メジャーでも通用する選手を育て、ファンを大切にした結果、弱小チームは優勝チームへと成長した。
 ヒルマン氏の就任当時は6000人から7000人だった観客動員数も、札幌に移り、リーグ優勝などを経て、3万5000人から4万6000人に膨らんだ。北海道の財務担当者から、「ファイターズが日本一になったことでもたらされた経済効果は約100億円に相当する」と伝えられた時、「心から喜びを噛みしめた」と振り返った。
 
自分の信念を貫く
 
 ヒルマン氏はまた、日本滞在中に体験したもっともショックだった出来事として、日本のスポーツ界に残る体罰について触れた。
 二軍の指導者がパフォーマンスのよくなかった選手に対し暴行を加えたことを耳にした同氏は、「日本のスポーツ界に体罰がある話は聞いていたが、まさか自分のチーム内で起こるとは思ってもいなかった」とし、「暴力行為を容認するチームとはかかわりたくない。今後も続くのであれば、監督を辞任する」と申し出たという。
 「当時、チームも、日本での生活も、家族も、仕事も順調だった。それらすべてを失うかもしれなかったが、それでも自分の信念を曲げることはできなかった」
 幸い、球団側がすぐに対処し、暴力を振るった指導者はヒルマン氏に謝罪と辞任を申し出た。敬けんなクリスチャンであるヒルマン氏は、「愛と許し」を持って、この指導者と和解したという。
 「大切なことは、相手を責めるのではなく、彼がなぜ、そういった行為に出てしまったのかを親身になって聞き、愛をもって接すること」だとし、意義ある話し合いを経て、同指導者の謝罪を受け入れたと振り返った。
 最後にヒルマン氏は、自身を支えてきた信仰、神の導きについて語り、愛と許し、恐れを受け入れそれをコントロールする勇気を持つことで、さまざまな困難を乗り越えてきたとまとめた。
 約一時間におよんだ講演会後には、参加者からの質問にも気さくに答えた。
 この日、友人の誘いを受けてウッドランドヒルズから参加した日系3世のスーザン・知念さんは、「あまり野球のことは詳しくないけれど、それでも十分に楽しめ、学ぶことが多かった」とし、ヒルマン氏が重視していた「人とのつながり」が、同氏の卓越した指導力につながっていたのではと感想を述べた。
 今回のイベントを主催したGMCは、日本語を母国語として話す男性を対象にディスカッション形式で聖書の言葉を基本とした考え方などを話し合う団体。2006年4月に発足して以来、2週間に一度オレンジ郡コスタメサでミーティングを開いている。同団体に関する詳細は、代表のリーさんまでメールで―
 godsmen2006@gmail.com

Leave a comment

Your email address will not be published. Required fields are marked *