2020年オリンピックとパラリンピックの東京開催が決まった。
 4年前の招致活動は石原都知事のひとり相撲の趣があったが、今回は違った。
 この夏、NHKは東京オリンピック回顧番組を何度も放映して五輪気運を盛り上げ、新聞・雑誌も招致記事に紙面を割いた。景気実質回復のために安倍政権の五輪への期待は大きく、力の入れようが感じられた。福島第一原発の放射能汚染水漏れが明らかになると、国費での遮水壁建設を決定。一方、国会での汚染水審議は、五輪招致へ影響することを恐れて先送りを決めたとも報じられた。
 私はと言えば、7年後の開催とはいえ、放射能汚染水解決のめどが立ってない現状で五輪を招致したい、世界中の人に日本に来てくれと言うのは、無理ではとの思いが募った。
 たとえ東京が福島から離れているといっても、汚染水による影響は皆無とは言えない。人々はそれでも東京に住み続けるしかないが、国外の人に来いというのはまた別の話。福島の問題は東京の問題であり、日本全体の問題だと思えてならないのだ。
 しかし先月末、元朝日新聞ロサンゼルス支局長の青木公さんと会って五輪招致が話題となると、台所のボヤを消す方策も立ってないのにお客を居間に招き入れようとするのは論外と感じる私に、青木さんは、「(東京から随分離れた)福島ですからねえ。外から見ると、考え方が違うものですね」と驚いた表情を見せた。外から見ていると言われて私も逆に驚いたが、150マイルしか離れてない福島は結局、東京都民にとっては「はるか250キロも離れた土地」なのだ。
 というわけで私は今、2020年東京五輪決定に沸くテレビ画面を、どこか醒めた思いで眺めている。IOC総会で安倍首相が「放射能汚染水の問題は解決」と確約したと聞いて、世界に向かって公言したのならと、その点に期待をかけつつ。
 東京五輪決定は日本時間の日曜早朝だったが、翌日が新聞休刊日だったため、喜びの大見出しはようやく、月曜日の夕刊紙面に躍った。敬老会では「長生きして東京オリンピックを見よう」が合言葉となった。確かに五輪は人を元気にさせる。【楠瀬明子】

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