トクさんの部屋でこの11年間を振り返る洋子・ナカムラさん。「やっと、息子を誇りに思うと口に出して言えるようになった」と話す
トクさんの部屋でこの11年間を振り返る洋子・ナカムラさん。「やっと、息子を誇りに思うと口に出して言えるようになった」と話す

 2003年3月20日、米国主体のイラク戦争が開戦。2011年のオバマ大統領による終結宣言までに、約4500人の米兵が命を落した。任務を立派に果たした一人息子トクさんとの再会を待ち望んでいた沖縄県出身の洋子・ナカムラさんは、軍服姿のメッセンジャーが玄関に現れたあの日、生きる希望を失った。四十九日の夜以降、夢に現れる息子に多くを教わり、街中で声をかけてくれた見知らぬ人の優しさに再び心を取り戻した。最愛なる息子の戦死から11年を経て、初めて母の思いを語った。【取材・写真=中村良子】

 03年6月19日、ドアをノックする音が聞こえた。孫が、「トクおじさんのお友達だよ」と言う。玄関に、軍服姿の男性が立っていた。
 「トクはいないわ」。そう伝えると、男性は表情を変えず、「ミスター・ナカムラはいますか」と聞いた。「主人は不在です。あなた、トクの友だちでしょ?」。男性は質問に答えず、「ミスター・ナカムラが戻るまで待たせてください」と言って沈黙した。
 一方通行の会話にいらだちが募った。心配して集まってきた近隣の人に制止されるまで、声を荒げていたことに気付かなかった。それでも、軍服姿の訪問が息子の死を意味するとは、この時まったく考えられなかった。
 「きっと、トクが大けがをしたんだわ。目が見えなくなってしまったのかもしれない。もう、歩けないのかもしれない。でも、どんな状態であっても、私が一生面倒をみる」。募る不安の中で、洋子さんは、そう決意した。

待望の長男誕生

 「はっきりと覚えているわ。分娩室でドクターが、『とてもかわいい男の子ですよ』と言ったの。あの感動は一生忘れない。上の2人が女の子で、ずっと男の子がほしかったから、『ボーイ』と聞いて、本当に嬉しかった」
 名前は夫のポール、ミドルネームには父の徳三。花火の音を怖がるほどの泣き虫で、体が小さくいじめられることが多かった。しかし、3歳から通わせた水泳やボーイスカウトのおかげか、中学、高校では運動能力を発揮し、ウォーターポロで主将を務めるほどたくましくなった。
 思春期には「学校をさぼったり、陰で悪いことをしていたようだけど、私には心配をかけないようにしていたみたい」。喧嘩をした翌日には、洋子さんのイスの上に「ごめんなさい」と、チョコレートを置くような子だった。「勉強はあまりできなかったけれど、優しく、素直で、友だち思いな子に育ってくれればいいと思っていた」

「銃で人を殺しに行くのではなく、
人助けのために戦地へ行くんだ」

ポール・徳三・ナカムラさん(写真=家族提供)
ポール・徳三・ナカムラさん(写真=家族提供)
 戦争には反対だが、息子の陸軍入隊に賛同した。軍の訓練を受けることで心身が鍛えられ、社会に出た時に役立つと思ったからだ。実際、6カ月訓練から戻った息子は、規則正しい生活を送り、男らしくなっていた。
 この2年後に同時テロ(911)が起こるとは、この時は知る由もなかった。
 02年11月、制服姿で帰宅した息子が後ろから肩を抱いて言った。「行ってくるよ」。それが何を意味するのか、すぐに分かった。
 不安をかき消すため、リバーサイドのマーチ空軍予備役基地に何度も足を運び、息子の医療技師としてのイラクでの仕事内容を確認した。「負傷した米兵の救護だけでなく、イラク兵や一般市民も救助する重要な任務」との説明に、「銃で人を殺しに行くのではなく、人助けのために戦地へ行くんだ」と、安心感を覚えた。
 イラク入り後は週に2回ほど電話があったが、話せるのは2、3分。6月の会話はよく覚えている。この日は何を聞いても答えがなかった。友だちに何かあったのか、任務中に嫌なものを見てしまったのか。胸騒ぎがした。
 父の日にあった電話が、最後の会話となった。4日後の6月19日、負傷した米兵を搬送中にロケット弾攻撃を受け、ほぼ即死だった。

人の痛みが分かるように
亡き息子から多くを学ぶ

 軍服姿の男性が帰った後、夫が言った。「トクはもう、戻ってこない」。洋子さんはこの言葉を、「イラクにとどまり、帰国しない」と解釈した。「じゃあ、トクはまだ生きているのね」。いちるの望みを胸に食い下がると、夫は同じ言葉を繰り返した。「死」という言葉を使わなかったのは、妻を思ってのことだったのかもしれない。
 葬儀の際、棺の中で眠る息子の顔は、損傷が激しかったためか、人形に換えられていた。「やっぱりトクは生きている」。そう信じたかった。
 四十九日の夜、初めて息子の夢を見た。「トク! ずっとあなたのことを考えていたのよ」。二度と彼を逃すまいと、腕をつかみ急いで玄関の鍵を閉めた。振り向くと、彼は裏庭にいた。「お願いだから行かないで」。そう叫ぶと、トクさんは満面の笑みを浮かべて「お母さん、ありがとう」と言い、天に昇った。
 息子の死を受け入れられずに苦しむ母を思い、真実を告げに来たのかもしれない。その日以来、夢で多くのことを教えてくれるようになった。
 息子の元婚約者に新しい相手ができたと聞いた時は、憎しみに近い感情を抱いた。すると、夢で婚約者とハグをして円満に別れる息子の姿を見た。「彼女を自由にしてあげてほしい。彼女には、彼女の人生がある」。そう伝えにきたようだった。
 元婚約者には夢の内容を伝え、今までの感情を正直に話し、涙ながらに謝罪した。彼女が結婚した今でも、家族ぐるみの付き合いが続く。
 「トクの死を通じ、人の心の痛みが本当に分かるようになった。トクは天国から、私にいろいろなことを教えてくれている」

11年目に得た「誇り」
息子からのプレゼント

 「トクが死んだことで、たくさんの人が悲しい思いをした。彼らの悲しむ顔を見て、皆に迷惑をかけたと感じた」。世間を騒がせたという申し訳ない気持ちから、洋子さんは人に会うのが怖くなり、外に出られない日々が続いた。

一番お気に入りのトクさんとの写真を見つめるナカムラさん
一番お気に入りのトクさんとの写真を見つめるナカムラさん
 心配した家族が、戦争で娘や息子を亡くした母親のための支援グループ「American Gold Star Mothers」に連れ出してくれた。
 集まった母親は1人ずつ、自身の子どもがどれだけ素晴らしかったのか話し始める。しかし洋子さんは、自分の番が回ってきても何も言えなかった。「日本独特の謙遜なのか、世間を悲しませて申し訳ないという気持ちがあったからなのか、『大した息子ではありませんでした』としか、言えなかった」
 心情に変化が現れたのは、少しずつ外出するようになってからだ。どこへ行っても、見ず知らずの人から声をかけられた。彼らは、「生前、トクさんにとてもお世話になりました」「仲の良い友だちでした」「娘が水泳を教わりました」と、一様に礼を述べた。
 自分の知らないところで、息子がたくさんの人の人生に影響を及ぼしていたのだと知った。彼の功績を通じ、新しい友だちがたくさんできた。「私が寂しくならないようにと、これもトクからのプレゼントなのかもしれない」
 息子の死から11年。彼が国のためにどれだけ頑張って命を捧げてきたのか、彼がどれだけ素晴らしい人だったのか、今は胸を張って言える。「トク、あんたいい仕事したよ。心から誇りに思うよ。私の自慢の息子だよ」

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